朝日日本歴史人物事典 「本郷村善九郎」の解説
本郷村善九郎
生年:宝暦7?(1757)
江戸中期の義民。飛騨(岐阜県)の幕府領吉城郡石神村和仁家に生まれ,本郷村の馬場家の婿養子となる。安永2(1773)年幕府の検地政策などに反対して起きた安永の大原騒動の頭取で,一揆の最も若い指導者として,本郷村小割堤の寄合などで活躍。一揆鎮圧後,高山町桐生河原に獄門となる。処刑4日前に牢内から妻かよに宛てた遺書が残る。本郷村本覚寺には安永7年に建立された寒念仏供養塔があり,昭和初年田の中から発見された。また同寺に妻子と並んだ墓があり,神岡の両全寺にも俗名和仁善九郎と刻まれた墓がある。<参考文献>『図説大原騒動』
(小椋喜一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報