コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

本郷村善九郎 ほんごうむら ぜんくろう

3件 の用語解説(本郷村善九郎の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

本郷村善九郎 ほんごうむら-ぜんくろう

1757-1775* 江戸時代中期の一揆(いっき)指導者。
宝暦7年生まれ。飛騨(ひだ)(岐阜県)吉城(よしき)郡本郷村の村役人。安永2年幕府の検地強行に反対しておきた農民一揆(大原騒動)を頭取として指導し,安永3年12月5日処刑された。18歳。獄中から妻かよにあてた遺書が子孫の万葉(ばんば)(馬場)家にのこる。姓は馬場。本姓は石神。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

本郷村善九郎

没年:安永3.12.5(1775.1.6)
生年:宝暦7?(1757)
江戸中期の義民。飛騨(岐阜県)の幕府領吉城郡石神村和仁家に生まれ,本郷村の馬場家の婿養子となる。安永2(1773)年幕府の検地政策などに反対して起きた安永の大原騒動の頭取で,一揆の最も若い指導者として,本郷村小割堤の寄合などで活躍。一揆鎮圧後,高山町桐生河原に獄門となる。処刑4日前に牢内から妻かよに宛てた遺書が残る。本郷村本覚寺には安永7年に建立された寒念仏供養塔があり,昭和初年田の中から発見された。また同寺に妻子と並んだ墓があり,神岡の両全寺にも俗名和仁善九郎と刻まれた墓がある。<参考文献>『図説大原騒動』

(小椋喜一郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

本郷村善九郎
ほんごうむらぜんくろう
(?―1774)

江戸中期の義民。飛騨(ひだ)国吉城(よしき)郡本郷村(現岐阜県高山市)の村役人。1773年(安永2)高山代官は、支配下の幕領に対し、検地増税をしようとした。これに反対した農民が、まず大垣藩、ついで江戸の老中に越訴(おっそ)し、さらに国元で代官所に強訴した。善九郎はこの後半の強訴の指導者で、翌74年12月獄門となった。彼の獄中から妻にあてた達筆な遺書(県の文化財)が残っている。これが安永(あんえい)騒動であるが、代官大原彦四郎の名をとって大原騒動ともいう。[横山十四男]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

本郷村善九郎の関連キーワード渡辺綱光飛騨郡代飛騨青山幸道石田秋雄上木甚兵衛大原彦四郎妻島村喜四郎飛騨祖門