本鍛冶町(読み)ほんかじまち

日本歴史地名大系 「本鍛冶町」の解説

本鍛冶町
ほんかじまち

[現在地名]小松市本鍛冶町

東は大文字だいもんじ町、西は塗師屋ぬしや町に挟まれた南北通りで、北はてら町に続く。長さ五九間三尺・幅二間、「南方東西ニ通シ小名本折横町ト称ス」とあり(皇国地誌)、この南端の東西通りをほんよこ丁とも称した。慶長年間(一五九六―一六一五)肥前名護屋なごや(現佐賀県鎮西町)から刀鍛冶五、六名が移住したのが町名の起りと伝える。前田利常の小松城拡張工事の際、城中御用の鍛冶職人が住んだ町を新鍛冶町と称したので、本鍛冶町と称して農具鍛冶に従事した(小松市史)。天明五年(一七八五)の小松町家数并人高調理帳(小松旧記)によれば、散町の一つで、家数三〇。


本鍛冶町
もとかじちよう

[現在地名]八戸市本鍛冶町

八戸城下南西町人町の南に位置する武家町。東は鳥屋部とやべ町、西は町組まちくみ町、北は廿六日にじゆうろくにち町、南は糠塚ぬかづか村に接する。東部街路北西より南東の方向に通る。文久年間(一八六一―六四)八戸御城下略図に本鍛冶丁とあり、諸士名がみえる。古くは鍛冶職人の町で、元禄二年(一六八九)城下の南に鍛冶町が新設されたのち武家町になったものとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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