朱絃舎 浜子
シュゲンシャ ハマコ
- 職業
- 箏曲家
- 本名
- 荻原 浜子(オギワラ ハマコ)
- 生年月日
- 明治14年 1月30日
- 出生地
- 神奈川県 横浜
- 経歴
- 父は横浜の野沢屋総支配人・萩原平兵衛。4歳の時から小出勾当に入門して箏曲を学ぶ。のち京極流箏曲の鈴木鼓村に師事して技芸を研鑽、生田流や八ツ橋流の箏曲にも精通し、早くから筝曲と舞踊の融合を試みた。大正12年の関東大震災で横浜の自宅が焼けたため、東京・牛込の劇作家・坪内逍遙宅に身を寄せ、箏曲・朱絃舎の看板を掲げて多くの門弟を教授した。大正3年には逍遙の歌劇「新曲浦島」中の段の作曲を手がけ、好評を博した。その他の作品に九条武子の舞踏詩「四季」秋の歌などがある。
- 没年月日
- 昭和12年 3月5日 (1937年)
- 家族
- 父=荻原 平兵衛(商人)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
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朱絃舎 浜子
シュゲンシャ ハマコ
大正・昭和期の箏曲家
- 生年
- 明治14(1881)年1月30日
- 没年
- 昭和12(1937)年3月5日
- 出生地
- 神奈川県横浜
- 本名
- 荻原 浜子(オギワラ ハマコ)
- 経歴
- 父は横浜の野沢屋総支配人・萩原平兵衛。4歳の時から小出勾当に入門して箏曲を学ぶ。のち京極流箏曲の鈴木鼓村に師事して技芸を研鑽、生田流や八ツ橋流の箏曲にも精通し、早くから筝曲と舞踊の融合を試みた。大正12年の関東大震災で横浜の自宅が焼けたため、東京・牛込の劇作家・坪内逍遙宅に身を寄せ、箏曲・朱絃舎の看板を掲げて多くの門弟を教授した。大正3年には逍遙の歌劇「新曲浦島」中の段の作曲を手がけ、好評を博した。その他の作品に九条武子の舞踏詩「四季」秋の歌などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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朱絃舎浜子 しゅげんしゃ-はまこ
1882-1937 大正-昭和時代前期の箏曲(そうきょく)家。
明治15年生まれ。4歳のとき小出勾当(こうとう)に入門。のち京極流鈴木鼓村(こそん)にまなぶ。大正12年ごろ朱絃舎をひらいて箏曲をおしえる。坪内逍遥の楽劇「新曲浦島」中の段,九条武子の舞踊詩「四季」の秋の歌などを作曲した。昭和12年3月死去。56歳。本名は荻原浜子。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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