歌人。大谷光尊(こうそん)次女として京都西本願寺に生まれ、男爵九条良致(よしむね)に嫁した。佐佐木信綱(のぶつな)に師事、10余年間、外遊の夫を待ち、清怨(せいえん)深窓の情操を吐露した歌集『金鈴(きんれい)』(1920)によって世に知られた。歌文集に『無憂華(むゆうげ)』(1927)、歌集に『薫染(くんぜん)』(1928)、『白孔雀(しろくじゃく)』(1930)がある。戯曲『洛北(らくほく)の秋』は帝劇で上演された。仏教婦人連合本部長として社会事業や女性運動に活躍、一代の麗人をもって鳴り、西本願寺信徒の尊崇と世の同情を一身に集めた。
[伊藤嘉夫]
もとゆひのしまらぬ朝は日ひと日わが髪さへもそむくかと思ふ
『『九条武子歌集』(1972・野ばら社)』▽『澤地久枝著「九条武子」(『図説人物日本の女性史10』所収・1980・小学館)』▽『籠谷真智子著『九条武子――その生涯のあしあと』(1988・同朋舎出版)』▽『佐々木信綱著『麗人九条武子』(1994・大空社)』
歌人。京都市生れ。西本願寺法主大谷光尊(明如)の次女で光瑞の妹。1909年男爵九条良致と結婚。10年秋,夫とともに渡欧,1年のち単身帰国し以降10余年の独居を続けた。16年佐佐木信綱門に入り和歌を学び,《心の花》の有力歌人となった。歌集《金鈴》(1920)は異郷の夫を思う哀切な歌が多く抒情味が濃い。〈夜くればものの理(ことわり)みな忘れひたふる君を恋ふとつげまし〉。その名門の出自と天成の美貌は武子を有名にし,歌文集《無憂華》(1927)は広く世に読まれた。長く仏教婦人会連合本部長として社会事業に尽くしたが,28年敗血症で没した。没後に歌集《薫染》(1928),《白孔雀》(1929)などが編まれた。
執筆者:新間 進一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大正期の歌人,社会事業家 仏教婦人会本部長;六華園園長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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