李成梁(読み)りせいりょう(その他表記)Lǐ Chéng liáng

改訂新版 世界大百科事典 「李成梁」の意味・わかりやすい解説

李成梁 (りせいりょう)
Lǐ Chéng liáng
生没年:1526-1615

中国,明末の武将。字は汝契。遠祖朝鮮の出身。代々鉄嶺衛指揮僉事(せんじ)を世襲する家柄であった。40歳で家業をつぎ,功により遼東険山参将となり遼陽副総兵に進み,1570年(隆慶4)総兵官王治道が戦没すると遼東総兵官となった。彼は四方から健児を召募し将校を選んで軍を編成し選鋒軍と称した。この軍をもって74年(万暦2)建州女直の王杲(おうこう)を討って敗走させ,75年モンゴルの土蛮罕の軍を破り,以後20余年にわたり東西の戦いで武功をたてたが,しだいに奢侈におごり商民の利を奪ったので,弾劾を受け職を退いたが,1601年76歳で再び総兵官となり,90歳で没した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李成梁」の意味・わかりやすい解説

李成梁
りせいりょう
Li Cheng-liang; Li Ch`êngliang

[生]嘉靖5(1526)
[没]万暦43(1615)
中国,明末の武将。遼東鉄嶺衛 (遼寧省) の人。字は汝契。代々遼東鉄嶺衛の軍官であった。隆慶4 (1570) 年総兵官王治道の戦死のあとをうけて遼東の総兵官となった。モンゴル諸部の侵入を防ぐとともに,満州族が興起したとき,建州女直の部長王杲 (おうこう) を捕え,さらに海西女直を征伐するなど,二十余年にわたって明の満州防衛に大功を立てた。しかしその間専横の行いも多く,万暦 19 (91) 年には弾劾を受け,職を退いたが,復職した。

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