中国東北部の一級行政区。東北地区の最南部にあたり,漢民族との関係は東北地区の中で最も古い。面積15万1000km2,人口4182万(2000)。29市(14地級市,15県級市),20県,9自治県よりなる。省都は瀋陽市。
本省は東西両側に山地と丘陵が横たわり,中央部は南北に細長い平野で,南は狭長な遼東半島が黄海と渤海の間に突出し,山東半島と相対している。東部は長白山地の延長部で,遼東半島の骨幹をなす千山山脈はさらにその延長部分である。西部はモンゴル高原の縁辺部にあたり,海岸沿いの狭長な平地は古来南北交通の要路にあたり,遼西走廊の名で知られる。中部平原を遼河水系が貫流する。遼河は多量の泥砂を運び,河口に形成されたデルタは塩分の多いアルカリ土で未開発のまま放置され,南大荒といわれていたが,最近干拓が進み,また全国第3位の遼河油田が開発されている。地下資源は鞍山,本渓を中心とする鉄,朝陽,凌源のマンガン,営口のマグネシウム,阜新(全国9位),鉄法(16位),撫順(22位),瀋陽(25位)等の石炭が本省の重化学工業の基礎資源である。石炭は解放直後には全国第1位の出炭量を誇ったが,撫順の減産もあって,現在は第8位にとどまり,省内の需要も賄いきれない状況にある。
本省の大部分は元来中国北部の遊牧民族の活動範囲であったが,前300年ころより漢族の移住も見られた。当時の交通路は喜峯口より平泉経由大凌河河谷を通って遼河平原に達する遼西故道と呼ばれるコースであったが,後には山海関を出て遼西走廊を経由する海岸沿いの道を利用するようになり,唐代には遼東半島から廟島群島を経て山東半島に達する海路も開かれた。ただ漢族の足跡は遼河平原南部から遼東半島と鴨緑江に達するルートにとどまり,その数も多くはなかった。宋代には本省は遼の支配下にあり,遼陽に東京が置かれ,金もまたここを東京とした。元代にも遼陽は現在の東北のほぼ東半と朝鮮半島北部,ロシアの沿海州地方を管轄する遼陽行省の省治であった。元代から明代にかけて女真族の一部は本省北東部の新賓一帯に定住していたが,明朝はここに建州三衛を設け,女真の族長を指揮使として統轄させるとともに,辺牆を設けて,辺牆内への女真族の侵入を防いだ。瀋陽以南と以西の地区の大部分は辺牆内にあり,漢族の入植者はしだいに増加し,また東部山地の朝鮮人参,貂(テン)皮,馬の取引も盛んになった。
17世紀満州族が興り,清の太祖が1622年(天命7)遼陽から瀋陽に都を移してから瀋陽の人口は急増し,北京に遷都した後も陪都として,また盛京将軍の駐在地として栄えた。しかし省内の他地域は戦乱の結果,人口が減少し,清朝の封禁政策がこれに拍車をかけた。19世紀以後禁墾令が解除されるとともに華北の農民が大量に入った。まず遼東半島と遼河平原に入植し,畑作農業のほか果樹作やサクサン(柞蚕。カイコの一種)の飼養がはじまり,海岸部では漁業や製塩も開始され,後になると朝鮮族が本省東部で水稲作を始めた。また瀋陽,遼陽,海城などでは大豆油の油坊が発達し,本渓湖,撫順などの採炭も開始された。
だが19世紀中葉以後,イギリス,ロシア,日本などの列強による利権獲得競争が始まり,ロシア帝国は東支鉄道南満支線(後の南満州鉄道)を敷設し,大連に港湾を建設し,旅順を海軍基地としたが,日露戦争後は日本がこれに代わってすべての利権を取得し,遼東半島の一部を関東州とよび,ここに関東都督府を置き,旅順は海軍の要港とされた。また南満州鉄道(満鉄)沿線の付属地のほか,撫順,本渓湖,烟台の炭鉱を勢力下に収め,日露戦争の際建設した軍用軽便鉄道(現在の瀋丹鉄道)の改修と沿線の鉱山採掘権を清朝に認めさせ,さらに第1次世界大戦中には袁世凱政府を脅迫して二十一ヵ条条約を締結させ,鞍山に製鉄所を建設するなどいっそう多くの利権を獲得した。中国人民は日本帝国主義の野望に憤激し,満鉄と並行する鉄道を建設し,また中国資本も鉱山や工場の自力建設をはかるなどしてこれに対抗しようとした。これに対して関東軍は,東北軍閥張作霖の乗る列車を爆破し,さらに1931年瀋陽北郊の柳条湖で満鉄の鉄道を破壊するなどの挑発を行い,全面的に軍事力を発動して東北全域を占領,1932年には傀儡(かいらい)政権の満州国をうちたてるにいたった。その後本省は日本の東北支配,さらには中国本土侵略の軍事基地とされ,鉄,石炭はもとより農産物にいたるまで日本の戦争遂行のための資源として収奪された。その間,鞍山,本渓湖,撫順は鉱工業都市化したものの,他面では多くの中国人労働者が虐使され,万人坑と呼ばれる穴に数万人の中国人の死体が投げ込まれるといった悲惨な強制労働事件が跡を絶たなかった。これに対して中国共産党の指導を受けた抗日闘争も東部山岳地帯を中心に展開され,日本軍の討伐も効を奏さなかった。
1945年日本の降伏により,満州国は潰滅したが,その後本省は一方ではソ連赤軍の進駐をみつつも,第3次国内革命戦争の戦場となり,国共両軍の戦闘が各地で繰り返された。48年秋の遼瀋戦役で近代装備を誇る国民政府軍は人民解放軍東北野戦軍によって包囲され潰滅するにいたり,ようやく解放の日を迎えた。この間,鞍山製鉄所をはじめ多くの工場は廃墟と化していたが,第1次5ヵ年計画期に入って復興が始まり,本省は工業建設の重点地区になった。ソ連軍の基地となっていた旅順も中国の手にもどることになった。その後の経済建設の結果,本省は中国で最も重化学工業の発達した地域に発展し,東北地区の経済的中枢としての役割を果たしてきたが,文革後の改革開放政策の下ではやや立ち後れ,国営工場の赤字経営の克服にも時間がかかった。最近は大連近郊で外資導入による経済開発区が設定され,日本をはじめ外資系の工場建設も進んでいる。またエネルギー供給量を増大させるため営口市に近い海城市に原子力発電所の建設を計画している。また大連には大慶の原油を積み出すための石油港湾も完成した。
鉄道交通は中国では最も密度の高い鉄道網が整備されており,京哈(北京~ハルビン),瀋大(瀋陽~大連),瀋丹(瀋陽~丹東)の三大幹線のほか,多くの支線が整備され,道路網も発達し,瀋陽~大連間の高速道路も全通の予定で,海運は大連のほか,営口,胡芦島の2港がある。なおエネルギー資源としては中国第3位の遼河油田の急速な発展が見られ,撫順はむしろ石油化学工業都市となっている。鞍山もなお粗鋼生産量第1位とはいえ,上海の宝山製鉄所に肉薄されている。そのなかで遼陽(化学繊維)と錦州の発展は注目に値する。
執筆者:河野 通博
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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