日本歴史地名大系 「李村」の解説 李村すももむら 愛知県:西加茂郡小原村李村[現在地名]小原村李鍛冶屋敷(かじやしき)村の南にあり、百月(どうづき)―永太郎(ええたろう)から瑞浪(みずなみ)(現岐阜県)に抜ける瑞浪道が通る。黒雲母花崗岩の石切塚があり、石材が生産されていた(小原村誌)。寛永郷帳では岡崎藩領、天明六年(一七八六)旗本久世三四郎領で明治維新に至る。明治九年(一八七六)の副業統計(小原村誌)には水車業一戸、紙漉二戸がある。「愛知県西加茂郡各村沿革調」によれば、同一八年の戸口は三七戸・一六八人で、特有物産に楮皮七〇〇斤・漆汁四〇斤があり、「用水不足ニテ稲旱損ノ地ナリ」とある。 李村すももむら 広島県:神石郡油木町李村[現在地名]油木町李安田(やすだ)村の東に位置、仙養原(せんようがはら)の西裾野と李谷(すももだに)川に沿う小村。地名の由来は不明であるが、鎮守の天満宮の創建は長久元年(一〇四〇)と古い草創を伝える。この天神様は必ずしも菅原道真に限定されたものではなく、古い土俗信仰が道真に結び付いたものと思われる。元和五年(一六一九)の備後国知行帳によれば高一四一石余、元禄一三年(一七〇〇)の備前検地で二一八石余に増加。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by