20世紀日本人名事典 「村上我石」の解説 村上 我石ムラカミ ガセキ 明治・大正期の僧侶 生年弘化2年5月16日(1845年) 没年大正3(1914)年7月22日 出生地遠江国掛川(静岡県) 本名村上 徳 旧姓(旧名)曽我 経歴幼少に曽我耐軒・向山黄村らに漢学・詩文を学ぶ。文久2年(1862年)仏学を金粕神興寮司の塾に学ぶ。明治3年静岡集学校の漢学専任教師となり4年間務め、この間に同校で数学を研究、英書を学んだ。のち静岡大学校3等教師となり、漢学・数学を教授する。17年東洋絵画会の設立に関わり理事に就任。26〜27年頃に大分県中津の宝蓮坊住職となり、寺務の傍ら風流を好み、詩壇を賑わし画もよくした。真宗大谷派東本願寺の議制会特選議員を2期務めた。著書に「煙霞画譚」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村上我石」の解説 村上我石 むらかみ-がせき 1845-1914 明治-大正時代の僧。弘化(こうか)2年5月16日生まれ。真宗大谷派。曾我耐軒,向山黄村らに漢学,詩文をまなぶ。明治17年東洋絵画会の設立にかかわり理事。大分県中津の宝蓮坊住職となり,東本願寺の議制会特選議員を2期つとめた。大正3年7月22日死去。70歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身。旧姓は曾我。名は徳。別号に半僊。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by