日本歴史地名大系 「村岡陣屋跡」の解説 村岡陣屋跡むらおかじんやあと 兵庫県:美方郡村岡町村岡町村岡陣屋跡[現在地名]村岡町村岡 尾白山江戸時代に七美(しつみ)郡六千七〇〇石を領した旗本交代寄合山名氏(のち村岡藩主)が領内支配の拠点とした陣屋。山名氏の陣屋は当初菟束(うつか)村(のち福岡村と改称)に置かれ、寛永一九年(一六四二)に黒野(くろの)村(のち村岡町と改称)に移転した。村岡陣屋は初め尾白(おしろ)山西方に設営されたが、文化三年(一八〇六)尾白山に移り、明治維新を迎えている。尾白山の陣屋は西流する湯舟(ゆぶね)川の右岸、村岡市街の北東に位置する尾白山の尾根突端部、標高約二五〇メートルの舌状台地に設けられ、湯舟川と支流の昆陽(こんよう)川に取巻かれている。集落との比高は約三五メートル。陣屋は東西約五〇メートル・南北約七〇メートルのほぼ長方形を呈しており、南東隅に大手虎口、北西隅に搦手虎口がある。城下町に面した西側と南側には、高さ約一・五メートルの石垣と帯曲輪(幅三―八メートル)を構築している。また陣屋の東上の斜面には東西約二〇メートル・南北約一一七メートルの馬場を設けている。昭和四三年(一九六八)に県立村岡高等学校の体育館が建設されたため、礎石などの遺構は失われた。現在跡地は御殿山(ごてんやま)公園として整備されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by