村田了阿(読み)むらたりょうあ

精選版 日本国語大辞典 「村田了阿」の意味・読み・例文・類語

むらた‐りょうあ【村田了阿】

  1. 江戸後期の国学者。名は高風。号は一枝堂・台麓など。了阿は法名。江戸浅草黒船町の煙管問屋村田の次男和歌清原雄風に、書を沢田東江に習う。若くして隠棲し、書を友とした。著に「了阿遺書」「考証千典」「花鳥日記」などがある。安永元~天保一四年(一七七二‐一八四三

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朝日日本歴史人物事典 「村田了阿」の解説

村田了阿

没年:天保14.12.14(1844.2.2)
生年:安永1(1772)
国学・仏学を中心とした独特の考証学者。名は高風,通称は小兵衛,了阿は法名。江戸浅草の有名な煙管問屋村田屋の次男。はやく学芸に志し,歌を加藤千蔭門の清原雄風,唐様の書を沢田東江に学ぶ。漢学・仏学の師系は定かではない。25歳で仏門に入ったのは,学問の趣味に徹するためであろう。生家の富に支えられ,一生を考証三昧に送るが,僧としての持戒にも努めた。学風は『考証千典』のような故事出典考を本領としながらも,常磐津『老松』の辞句注釈『おいまつ考』(1818)や潮来節の注釈『潮来考』のように市井風俗への興味も強く,『花鳥日記』『市隠月令』などの日記には,化政期江戸市中の生活が,手にとるように示されている。世間の流行学者をそしって「何もかも皆見たふりを四庫全書閲蔵知津 群書一覧」と詠んだ狂歌に,了阿の学問の手堅さがうかがい知られる。<参考文献>森銑三「了阿法師とその生活」(『森銑三著作集』7巻)

(中野三敏)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村田了阿」の解説

村田了阿 むらた-りょうあ

1772-1844* 江戸時代後期の国学者。
安永元年生まれ。江戸浅草の煙管(きせる)問屋の次男。25歳で出家して隠棲(いんせい)。和歌を清原雄風(おかぜ)に,書を沢田東江にまなぶ。和漢の書籍,仏典通じ,小山田与清(ともきよ),柳亭種彦ら文人と交流した。天保(てんぽう)14年12月14日死去。72歳。名は直温,高風。通称は小兵衛。号は一枝堂など。著作に「考証千典」「おいまつ考」など。

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