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清原雄風 きよはら おかぜ

美術人名辞典の解説

清原雄風

江戸後期の歌人、豊後国岡の人。通称忠次郎、名は蔵、字は伯高、号は崑岡。小沢玄達と称して医を業とする。文化7年(1810)歿、64才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

清原雄風 きよはら-おかぜ

1747-1810 江戸時代後期の歌人。
延享4年生まれ。豊後(ぶんご)(大分県)の人。父の医業をつぐ。岡藩の儒医となるが,脱藩して諸国を放浪。寛政の末ごろから江戸にすみ,加藤千蔭(ちかげ),村田春海(はるみ)らとまじわり,名をあげた。文化7年8月20日死去。64歳。本姓は森。字(あざな)は伯高。号は崑岡,楊伯など。名は別に蔵,玄達。編著に「怜野(れいや)集」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

清原雄風

没年:文化7.8.20(1810.9.18)
生年:延享4(1747)
江戸中期の歌人。寛保3(1743)年生年説もある。姓森,通称忠次郎。号崑岡,楊柏など。名は「たかかぜ」とも読む。豊後岡(大分県竹田市)の医家に生まれる。筑前福岡の亀井南冥に従学,岡藩校の司業となるが出奔,下総香取(千葉県香取郡)や江戸をさすらい,加藤千蔭や村田春海らと親交を持つ。『類題怜野集』の編刊は歌人としての大きな業績。一方で同じ豊後出身の角田九華編『続近世叢語』に伝えられた数々の奇行でも知られる。同書は顔を洗わず髪も梳らず,ほこりだらけの書斎に座す雄風の面影を如実に伝えて興味深い。家集『清原雄風家集』がある。<参考文献>今村孝次『二豊人文志』

(久保田啓一)

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世界大百科事典 第2版の解説

きよはらおかぜ【清原雄風】

1747‐1810(延享4‐文化7)
江戸後期の歌人。豊後の人。通称忠次郎,号は崑岡など。もと医者。のち学才を認められて岡藩儒となるが,公務をいとうあまり亡命して下総(しもうさ)などに寓居した。その後江戸に移住,加藤千蔭らと親交を結び,もっぱら詠歌に意を用いる。雄風編の類題和歌集《怜野(れいや)集》は,江戸を中心に広くおこなわれ,歌壇に活況をもたらすと同時に,雄風の歌名をも大いに高めた。家集に《清原雄風歌集》がある。【鈴木 淳】

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