日本歴史地名大系 「杣村」の解説
杣村
そまむら
現在の安佐南区
鎌倉中期と推定される三月日付の安芸国衙領注進状(田所文書)に「緑井郷」に次いで杣村、続いて「阿土毛木村」がみえ、国衙領であった。「杣村二十五町五段」の内容は不輸免が一三丁一反六〇歩でその内訳は一宮(厳島社)免二丁七反・八幡宮(松崎八幡宮)大般若経免二丁・即八幡宮免六反・同新宮免五反・角振社仁王講免三反・諸寺勘料田一丁小・公廨田四丁四反大・一宮神官恪勤免一丁・梶取免四反六〇歩・政所敷一反、応輸田が一二丁三反三〇〇歩で、その内訳は別府六丁七反三〇〇歩(久知村一丁四反六〇歩・中伴四丁・大墓村一丁三反大)・本村五丁六反とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報