日本歴史地名大系 「東二見村」の解説
東二見村
ひがしふたみむら
加古郡の東端、
慶長国絵図に村名がみえる。正保郷帳では田高七八七石余・畑高一〇五石余。元禄郷帳では高一千一七五石余。慶長五年(一六〇〇)池田輝政領、元和三年(一六一七)明石藩領、寛永九年(一六三二)幕府領(播州明石記録)。延享元年(一七四四)大坂城代堀田正亮(出羽山形藩)領(「天保校訂紀氏雑録」日産厚生会佐倉厚生園蔵)、安永七年(一七七八)大坂城代(天明元年京都所司代)牧野貞長(常陸笠間藩)領となり、天明四年(一七八四)上知(同七年「牧野貞長村寄」笠間稲荷神社蔵)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報