東京横浜毎日新聞(読み)とうきょうよこはままいにちしんぶん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東京横浜毎日新聞」の意味・わかりやすい解説

東京横浜毎日新聞
とうきょうよこはままいにちしんぶん

日本最初の日刊紙横浜毎日新聞』を,政治結社嚶鳴 (おうめい) 社の盟主沼間 (ぬま) 守一が買受けて東京に移し,1879年 11月に改題した新聞。 82年に大隈重信立憲改進党を結成してからは,改進党嚶鳴社系の機関紙となった。 86年5月『毎日新聞』と改題。 90年5月沼間が死ぬと肥塚龍が社長となり,94年からは島田三郎が社長になった。クリスチャン正義漢だった島田のもとで,廃娼問題,足尾鉱毒事件などで進歩的筆陣を張り,日露戦争前には非戦論を唱えた (1903年 10月に転向) 。 1906年7月『東京毎日新聞』と改題したが業績ふるわず,08年 11月から『報知新聞』の傍系紙になって島田は退陣した。 11年1月の小杉天外の入社などで社運も好転したが,大正に入るとまた不振となった。 18年1月に八千代生命保険の社長小原達明の所有となり,無産者運動の新聞に変身。 21年2月からは大杉栄も編集陣に加わり,労働運動の興隆と相まって社勢を伸ばした。 23年関東大震災で壊滅した。

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デジタル大辞泉プラス 「東京横浜毎日新聞」の解説

東京横浜毎日新聞

日本の新聞のひとつ。日本初の日刊紙「横浜毎日新聞」を嚶鳴社の沼間(ぬま)守一買収、東京に編集部を移して1879年11月に改称したもの。1886年、「毎日新聞」に改称。

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世界大百科事典(旧版)内の東京横浜毎日新聞の言及

【大新聞・小新聞】より

…その政治論議は早期国会開設を要求する民権派と漸進的な開設を主張する官権派(御用新聞)とによって,かまびすしく展開された。民権派新聞には《郵便報知新聞》《朝野新聞》《東京横浜毎日新聞》《東京曙新聞》があり,官権派新聞には《東京日日新聞》があった。一方,小新聞は花柳だね,警察だねなどで特色を発揮していた。…

【横浜毎日新聞】より

…貿易関係記事,海外ニュースなどを掲載したが,74年ころからは民権派の新聞として注目されていた。79年に沼間(ぬま)守一に買収され,本社を東京に移し,同年11月から《東京横浜毎日新聞》と改題した。立憲改進党成立後は同党の機関紙とみなされた。…

※「東京横浜毎日新聞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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