明治時代のジャーナリスト、民権家、政治家。天保(てんぽう)14年12月2日幕臣高梨仙太夫(たかなしせんだゆう)の二男として江戸・牛込(うしごめ)に生まれ、のち沼間平六郎(へいろくろう)の養子となる。旧称慎次郎(しんじろう)、雅号不二峰楼(ふじほうろう)主人、弄花(ろうか)。幕末に英学および洋式兵術を修め、戊辰(ぼしん)戦争では幕府側の主戦派として東北地方を転戦。1868年(明治1)9月庄内(しょうない)藩で縛につき、翌1869年放免され、一時土佐藩邸で英学を講じた。1872年大蔵省出仕、まもなく司法省に転じ洋行、翌1873年帰国、1875年より元老院権(ごん)大書記官となった。元老院時代「わっぱ騒動」調査に敏腕を振るったことは有名。また言論の重要性を洋行体験で認識し、帰国後、東京・下谷(したや)に法律講義会を開設、のちこれを嚶鳴(おうめい)社と改めて政治講究の場とし、近代思想を盛んに唱導した。1879年政府の官吏政談演説禁止策に抗して元老院を辞任、『嚶鳴雑誌』『東京横浜毎日新聞』を経営して民権運動の発展に尽くし、1882年には立憲改進党の結成に参加、以後、党領袖(りょうしゅう)として活躍。また1879~1890年の間東京府会議員として府民のために奮闘、この間1882年からは同議会の議長を務めた。明治23年5月17日没。墓は東京寛永寺にある。
[安在邦夫]
『石川安次郎著『沼間守一』(1901・毎日新聞社/復刻版・1993・大空社)』
明治時代のジャーナリスト,政治家。幕臣高梨家の次男として生まれ,沼間平六郎の養子となる。長崎で英語,兵書を学び,陸軍伝習所で洋式兵術を学ぶ。戊辰戦争に主戦論を唱え,軍人として名をはせた。明治新政府では大蔵省,司法省,元老院と転ずるが,72年(明治5)洋行し自由民権思想にめざめる。73年言論抑圧に抗し官吏をやめ,河野敏鎌らと法律講習会(嚶鳴社(おうめいしや))を結成,79年《嚶鳴雑誌》を発行し,また《横浜毎日新聞》の社長となり,《東京横浜毎日新聞》と改題して筆をふるった。82年立憲改進党(改進党)結成の中心メンバーとなり,84年には解党論に反対し,党の存続に努力した。一方東京府会議員となり,議長をも務め,自治制度の確立に尽力した。弁舌のうまさは定評があり演説家としても有名である。
執筆者:広瀬 玲子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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(井川充雄)
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…明治時代,自由民権期の政論雑誌。1879年10月25日,沼間守一(ぬまもりかず)主宰の政治結社嚶鳴社を母体に創刊された。初期のころは末広重恭校閲で,沼間,末広,青木匡ら嚶鳴社メンバーの政談演説の草稿を収録。…
※「沼間守一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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