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沼間守一 ぬまもりかず

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

沼間守一
ぬまもりかず

[生]天保14(1843).12.2. 江戸
[没]1890.5.17. 東京
ジャーナリスト,政治家。初め幕臣で,長崎に行き,英語などを学んだ。明治5 (1872) 年から大蔵省,司法省に出仕したが,新政府になじまず,1874年起した法律講習会を 78年5月に嚶鳴 (おうめい) 社と改称した頃から,反政府色の強い自由民権思想を主張しはじめ,翌年に元老院権大書記官を辞職。機関誌『嚶鳴雑誌』を創刊,80年 11月には最初の日刊紙『横浜毎日新聞』を買受けて東京に移し,『東京横浜毎日新聞』と改題して,急進的な民権論の舞台にした。特に官権派の『東京日日新聞』の福地源一郎 (かつては法律講習会の仲間) との論戦が有名。 82年立憲改進党の結党に参画して貢献し,82~90年東京府会議長をつとめた。

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百科事典マイペディアの解説

沼間守一【ぬまもりかず】

明治の政治家,新聞記者幕臣の子。戊辰戦争では主戦論を唱え,新政府軍と戦った。維新後大蔵省・司法省に出仕,薩長の専横に憤り,1875年辞職。再び元老院に出仕したが1879年下野。また1873年河野敏鎌嚶鳴(おうめい)社を組織,1879年《横浜毎日新聞》を買収して《東京横浜毎日新聞》として発行,国会開設・自由民権思想を流布。立憲改進党結成に参加。1882年―1890年東京府議会議長。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

沼間守一 ぬま-もりかず

1844*-1890 明治時代のジャーナリスト。
天保(てんぽう)14年12月2日生まれ。戊辰(ぼしん)戦争では幕府側として奥羽各地を転戦。維新後,官吏をへて法律講習会(のち嚶鳴社(おうめいしゃ))を設立して言論活動を推進。また「東京横浜毎日新聞」を経営して自由民権をうったえた。明治15年立憲改進党の創立に参加した。明治23年5月17日死去。48歳。江戸出身。本姓高梨。号は弄花生。

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朝日日本歴史人物事典の解説

沼間守一

没年:明治23.5.17(1890)
生年:天保14.12.2(1844.1.21)
明治時代の政治家,ジャーナリスト。幕臣高梨仙太夫の次男として,江戸牛込に生まれる。幼名慎次郎。幕臣沼間平六郎の養子となる。養父と共に長崎へ行き,英語と西洋兵学を学ぶ。幕府の陸軍伝習所歩兵科卒。明治維新後,横浜税関や司法省に勤務し,明治4(1871)年,岩倉遣外使節団に随行した。西南戦争後の11年,政談演説討論を目的とする嚶鳴社を組織し,12年には機関誌嚶鳴雑誌』を発行し,自由民権運動を展開。同年11月,『横浜毎日新聞』の経営を引き継ぎ,『東京横浜毎日新聞』を創刊。15年,嚶鳴社の島田三郎,肥塚竜らと立憲改進党の結党に参画した。同年東京府会議長。<参考文献>田中浩編『近代日本のジャーナリスト』,木村毅編『明治人物論集』(明治文学全集92巻)

(井川充雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ぬまもりかず【沼間守一】

1843‐90(天保14‐明治23)
明治時代のジャーナリスト,政治家。幕臣高梨家の次男として生まれ,沼間平六郎の養子となる。長崎で英語,兵書を学び,陸軍伝習所で洋式兵術を学ぶ。戊辰戦争に主戦論を唱え,軍人として名をはせた。明治新政府では大蔵省,司法省,元老院と転ずるが,72年(明治5)洋行し自由民権思想にめざめる。73年言論抑圧に抗し官吏をやめ,河野敏鎌らと法律講習会(嚶鳴社(おうめいしや))を結成,79年《嚶鳴雑誌》を発行し,また《横浜毎日新聞》の社長となり,《東京横浜毎日新聞》と改題して筆をふるった。

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大辞林 第三版の解説

ぬまもりかず【沼間守一】

1843~1890) 民権論者。江戸の人。幕府に用いられたが、維新後政府に仕える。退官して、民権運動のため嚶鳴社おうめいしやを興し、また「東京横浜毎日新聞」を刊行して立憲改進党結成に参加。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

沼間守一
ぬまもりかず
(1843―1890)

明治時代のジャーナリスト、民権家、政治家。天保(てんぽう)14年12月2日幕臣高梨仙太夫(たかなしせんだゆう)の二男として江戸・牛込(うしごめ)に生まれ、のち沼間平六郎(へいろくろう)の養子となる。旧称慎次郎(しんじろう)、雅号不二峰楼(ふじほうろう)主人、弄花(ろうか)。幕末に英学および洋式兵術を修め、戊辰(ぼしん)戦争では幕府側の主戦派として東北地方を転戦。1868年(明治1)9月庄内(しょうない)藩で縛につき、翌1869年放免され、一時土佐藩邸で英学を講じた。1872年大蔵省出仕、まもなく司法省に転じ洋行、翌1873年帰国、1875年より元老院権(ごん)大書記官となった。元老院時代「わっぱ騒動」調査に敏腕を振るったことは有名。また言論の重要性を洋行体験で認識し、帰国後、東京・下谷(したや)に法律講義会を開設、のちこれを嚶鳴(おうめい)社と改めて政治講究の場とし、近代思想を盛んに唱導した。1879年政府の官吏政談演説禁止策に抗して元老院を辞任、『嚶鳴雑誌』『東京横浜毎日新聞』を経営して民権運動の発展に尽くし、1882年には立憲改進党の結成に参加、以後、党領袖(りょうしゅう)として活躍。また1879~1890年の間東京府会議員として府民のために奮闘、この間1882年からは同議会の議長を務めた。明治23年5月17日没。墓は東京寛永寺にある。[安在邦夫]
『石川安次郎著『沼間守一』(1901・毎日新聞社/復刻版・1993・大空社)』

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世界大百科事典内の沼間守一の言及

【嚶鳴雑誌】より

…明治時代,自由民権期の政論雑誌。1879年10月25日,沼間守一(ぬまもりかず)主宰の政治結社嚶鳴社を母体に創刊された。初期のころは末広重恭校閲で,沼間,末広,青木匡ら嚶鳴社メンバーの政談演説の草稿を収録。…

※「沼間守一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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