日本歴史地名大系 「東天川村」の解説 東天川村ひがしあまかわむら 大阪府:高槻市東天川村[現在地名]高槻市東天川(ひがしあまがわ)一―五丁目・永楽(えいらく)町・明野(あけの)町・天川(あまがわ)町・天川新(あまがわしん)町・野田(のだ)一―四丁目・野田東(のだひがし)二丁目・前島(まえしま)二丁目・道鵜(どうう)町六丁目前島村の北西にあり、檜尾(ひお)川下流に位置する。集落は右岸に沿う。欠年の安満庄目録案(天理大学図書館蔵保井文庫文書)に「安満河二丁六反小」「安満河四丁大三十歩」とあり、遅くとも南北朝期には、野田村・西天川村などを含む一帯を「安満河」と称していたようである。高山右近の検地として知られる天正年中(一五七三―九二)の検地帳写(森田家文書)には西天川村の疆域は含まれていないので、あるいは織田信長の分国(高山右近允支配)によって天正初年頃分村したものか。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by