東小路(読み)ひがしこうじ

日本歴史地名大系 「東小路」の解説

東小路
ひがしこうじ

[現在地名]吉田町東小路

家中町の南部東方を占める地域で、北は北小路きたこうじ、西は西小路にしこうじ、南は横堀よこぼり川を挟んで町人町に接する。立間たちま川とその下流横堀川を挟む形で東南部に現在東小路乙と通称される地域があり、もとは大工だいく町とよばれ、家中町に属していた。

文久元年(一八六一)の古地図によると、江戸時代には、本丁ほんちようの南部、御弓之丁おゆみのちようの南部、御蔵前おくらまえ、ほかに地図には記されていないが桜丁さくらちよう大工町も東小路に属していた。


東小路
ひがしこうじ

[現在地名]魚津市真成寺町しんじようじまち双葉町ふたばちよう

南北に走る北陸街道沿いの真成寺町南端近くから東に向かって延びる通りの両側町。元禄一一年(一六九八)に町立てされたという(下新川郡史稿)。天明五年(一七八五)魚津町惣絵図に東小路とみえ、北には真成寺町の真成寺などの寺地があり、小路の東端突当りに町奉行貸家(魚津町奉行所)、突当りを北に折れると町付足軽屋敷、南に折れると馬廻衆の屋敷地がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む