東忌部村(読み)ひがしいんべむら

日本歴史地名大系 「東忌部村」の解説

東忌部村
ひがしいんべむら

[現在地名]松江市東忌部町

乃白のしら村の南に位置し、東はそら山・日本にほんなる山などの山山を境にして平原ひらはら村・熊野くまの(現八雲村)大庭おおば村・佐草さくさ村、西は忌部川を境に西忌部村に接する。中世は忌部保に含まれていたとみられる。寛永二一年(一六四四)の東忌部村田畑検地帳によると反別二三町四反余・分米九五九石余、屋敷数は御役目屋敷二八・引方四四(うち御蔵屋敷一・寺二・神主一・庄屋一・役人一・山廻四・鍛冶一)正保国絵図に「東黒部村」と誤記される。元禄十年出雲国郷帳によると高一千一六五石余、寛文四年(一六六四)には本田高一千一五二石余・新田高五石余。「雲陽大数録」では高九七〇石。忌部川流域およびその支流の多くの渓流の流域に耕地があり、米・麦などのほか大根・大豆小豆甘藷西瓜・筍などを生産した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む