日本歴史地名大系 「東明寺跡」の解説 東明寺跡とうみようじあと 三重県:阿山郡阿山町東湯舟村東明寺跡[現在地名]阿山町東湯舟東湯舟(ひがしゆぶね)の滋賀県境に近い城(じよう)ヶ谷(だに)にある。寺跡は俗称寺屋敷(てらやしき)とも称され、古瓦・焼土などが出土する。東明寺と陽刻された瓦当径五寸一分の鐙瓦や宇瓦が出土している。元亨元年(一三二一)五月一八日付の諸庄神人支配事(大和薬師院文書)に簗瀬庄・阿波庄・玉滝別符などに交じって、当寺の名がみえる。建武三年(一三三六)頃のものとみられる権律師永俊遺領田畠寄進状(東大寺文書)に「一段 畠 鞆田東明寺堂住僧職田地子四斗三升 作正忍房」とあるが、この東明寺は湯船(ゆぶね)庄の東明寺と考えられる。 東明寺跡とうみようじあと 徳島県:三好郡池田町川崎村東明寺跡[現在地名]池田町川崎坊(ぼう)の薬師堂がある場所が故地とされ、伝承では平安時代以来の寺といわれる。史料上では川崎の三所(かわさきのさんしよう)神社蔵の大般若経巻三二一の奥書(年欠)に「南河崎東明寺」、同巻四五一の応永九年(一四〇二)の奥書に「河崎於東明寺」とみえる。薬師堂にある梵鐘に安永九年(一七八〇)銘で「阿州三好郡川崎村灯明寺」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報