日本歴史地名大系 「東来海村」の解説 東来海村ひがしぎまちむら 島根県:八束郡宍道町東来海村[現在地名]宍道町東来待(ひがしぎまち)宍道湖に北面し、東は林(はやし)村(現玉湯町)、西は来待(きまち)川を挟んで西来海村、南方は山地で上来海村。来待川下流域はしばしば氾濫し沖積地が形成されており、蛇行の伝承や古川(ふるかわ)の地名も残る。松江城下からの山陰道が宍道湖沿いを通り、鏡谷(かがみたに)川に向鏡(むこうかがみ)橋が架かる。「和名抄」に載る意宇(おう)郡来待郷の遺称地で、中世には来海(きまち)庄に含まれた。正保国絵図には下来海村とみえ、東・西の来海村を含んだと推定される。元禄十年出雲国郷帳でも下来海村として高付され、高二千一五八石余、寛文四年(一六六四)の本田高二千六五石余・新田高一六石余。「雲陽大数録」に東来海とみえ、高七九〇石。文化一〇年(一八一三)の天文方御用手鑑によると東来海・西来海両村合せて家数一四四・人数七三四。文久二年(一八六二)の意宇郡村有高輪切帳(広島大学附属図書館蔵)では高八四二石余、家数二〇四・人数九六〇。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by