東求女塚古墳(読み)ひがしもとめづかこふん

日本歴史地名大系 「東求女塚古墳」の解説

東求女塚古墳
ひがしもとめづかこふん

[現在地名]灘区住吉宮町一丁目

東乙女ひがしおとめ塚ともよばれる。古墳名は求塚伝説にちなむ(灘区の→求塚住吉すみよし川西岸から約五〇〇メートルの位置にある標高約五メートルの微高地上に造られた西向きの前方後方墳で、四世紀後半の造営。旧海岸線までの距離は約五〇〇メートル。明治初年頃までは墳丘が保たれていたが、その後阪神電鉄の敷設工事などで大半を失った。現在は一部が公園として残っている。昭和五七年(一九八二)に発掘調査が実施された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む