出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
能の曲名。四番目物。観阿弥作か。シテは菟名日処女(菟原処女(うないおとめ))の霊。旅の僧(ワキ)が摂津の生田に赴くと,若菜摘みの若い女たち(前ジテ・ツレ)が来かかる。僧は求塚のありかを尋ねるが,女たちは知らないと答え,残雪をかき分けて一心に若菜を摘み,また帰って行く(〈下歌(さげうた)・ロンギ等〉)。ところがただ1人居残った女がいて,僧を求塚に案内し,塚にまつわる伝説を話して聞かせる。昔,小竹田男(ささだおとこ)/(ささだおのこ)と血沼丈夫(ちんのますらお)/(ちぬのますらお)という2人の青年が菟名日処女という女に恋をして,同時に恋文を送った。女はどちらへもなびかず,生田川のオシドリを射当てた人に従うと言ったが,2人の矢は同時に鳥を射留めた。女が悩みぬいて川に身を投げたため,その遺体を築きこめたのがこの塚で,その後男たちも刺し違えて死んだが,それさえ女の身の咎(とが)となってしまったのだと言って,女は塚の中に姿を消す(〈語り・上歌(あげうた)〉)。僧が弔うと夜半に菟名日処女の霊(後ジテ)が塚の中から現れる。やせ衰えた面ざしの霊は,2人の男の亡霊や化け鳥となったオシドリに,死後も悩まされているのだと訴え,地獄の苦しみの数々を見せてまた塚の中に消えて行く(〈中ノリ地〉)。この能の主題は異性の求愛に対する不決断が,ついに死に結びつき,さらに死後永遠の苦しみをもたらすというもの。主人公自身に恋の執念があったわけではなく,その点で類曲とは趣が違う。前場のさわやかな若菜摘みの場面が,後半の暗い苦悩の場面とあざやかな対比をなす。
執筆者:横道 万里雄
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能の曲目。四番目物。観世(かんぜ)、宝生(ほうしょう)、金剛、喜多(きた)四流現行曲。ただし観世流は観世華雪(かせつ)による1952年(昭和27)の復曲。観阿弥(かんあみ)作曲の能、作詞も観阿弥らしい。『万葉集』『大和(やまと)物語』を出典とする生田川(いくたがわ)伝説による。2人の男からの求婚を選びかねて自殺した美女の物語だが、男たちが後を追って死んだ罪で、地獄における女の凄惨(せいさん)な責め苦に重点を置くのが能の主張である。旅僧たち(ワキ、ワキツレ)が津国(つのくに)(兵庫県)生田の里を通りかかり、若菜摘みの乙女たち(前シテ、ツレ数人)に求塚のありかを尋ねるが、教えようとしない。皆が去り、ひとり残った女が求塚へと案内し、菟名日処女(うないおとめ)の入水(じゅすい)と、刺し違えて死んだ男たちのことを語り、それさえ私の科(とが)になってしまったと、救いを求めつつ塚に消える。僧の弔いに、美貌(びぼう)も無残にやせ衰えた菟名日処女の亡魂が現れて読経を喜ぶが、たちまち地獄の苦患(くげん)が襲いかかり、やがてその姿は闇(やみ)の世界へと消えていく。後半の凄惨さと、前半の若菜摘みの春浅い風情とがみごとに映り合う、能の名作。なお、同じ生田川伝説を扱った森鴎外(おうがい)の戯曲に『生田川』があり、現代語で書かれた最初の史劇として名高い。
[増田正造]
…《大和物語》147段では,さらに詳しく具体的になり,村上帝の後宮において中宮をはじめ女房たちが障子歌をよむ場や,処女塚(おとめづか)の後日譚がつく。処女塚は,《散木奇歌集》第五羇旅や《堀河百首》雑に収められた源俊頼の〈海路の心をよめる〉という詞書(ことばがき)をもつ和歌では,求塚となっており,《太平記》巻十六の湊河の合戦の場面にもみえている。今川貞世《道ゆきぶり》には〈この川に鳥射しますらをの塚〉と見える。…
※「求塚」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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