東長田村
ひがしながたむら
[現在地名]諫早市長田町・正久寺町・高天町・白木峰町
西長田村の東、本明川の河口部北岸に位置する。諫早湾に臨み、諫早街道が通る。近世は諫早郷に属し、江戸時代は肥前佐賀藩親類同格の諫早家領。寛文四年(一六六四)の鍋島光茂領知目録(寛文朱印留)に東長田村とみえ、大小配分石高帳では地米高二九七石余。寛延三年(一七五〇)の諫早一揆では新内が生害に処された(諫早日記)。天明七年(一七八七)の佐賀領村々目録では高四一〇石余。
東長田村
ひがしながたむら
[現在地名]館山市東長田
南条村の南に位置し、汐入川の支流長田川右岸の谷に展開する。西は西長田村。北部の字熊野には三七基の横穴墓群、字谷には明治三二年(一八九九)に発見された七世紀前半の祭祀遺跡がある。中世の長田保の遺称地とされる。慶長二年(一五九七)の安房国検地高目録では高二四六石余(うち田一八二石余)、同一五年の里見家分限帳によると里見家の直接支配地。正保郷帳では高三五五石余(うち田二七二石余)、旗本石川領。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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