杵家弥七(読み)キネイエ ヤシチ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「杵家弥七」の解説

杵家 弥七(4代目)
キネイエ ヤシチ


職業
長唄三味線方

肩書
杵家派家元

本名
赤星 よう

生年月日
明治23年 12月10日

出生地
東京市京橋区(東京都 中央区)

経歴
2代弥七の門弟杵屋弥寿治(のち初代七媼)。12代杵屋六左衛門、5代勘五郎に師事、大正5年4代杵屋弥七を襲名。昭和2年杵屋を杵家と改称し、5年より〈きねいえ〉と呼ぶ。大正年間、三味線音楽の楽譜化に努め、12年三味線文化譜完成して出版、大阪、東京に三味線女塾を開き、ラジオで文化譜の普及を図り、長唄発展に大きく貢献した。平成2年生誕百年記念演奏会が開催された。

没年月日
昭和17年 12月17日 (1942年)


杵家 弥七(5代目)
キネイエ ヤシチ


職業
長唄三味線方

肩書
杵家派家元

本名
赤星 輝子

別名
後名=杵家 七媼(2代目)

生年月日
大正5年 8月5日

経歴
長唄三味線方・杵家派家元4代目弥七の長女で、昭和19年5代目を襲名。戦後、杵家会を組織し、門下指導にあたった。58年引退し2代目七媼を名乗った。

没年月日
平成17年 3月3日 (2005年)

家族
母=杵家 弥七(4代目),長男=杵家 弥七(6代目),孫=杵家 弥寿治(4代目),杵家 弥佑(2代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「杵家弥七」の解説

杵家 弥七(4代目)
キネイエ ヤシチ

大正・昭和期の長唄三味線方 杵家派家元。



生年
明治23(1890)年12月10日

没年
昭和17(1942)年12月17日

出生地
東京市京橋区(現・東京都中央区)

本名
赤星 よう

経歴
2代弥七の門弟杵屋弥寿治(のち初代七媼)。12代杵屋六左衛門、5代勘五郎に師事、大正5年4代杵屋弥七を襲名。昭和2年杵屋を杵家と改称し、5年より〈きねいえ〉と呼ぶ。大正年間、三味線音楽の楽譜化に努め、12年三味線文化譜を完成して出版、大阪、東京に三味線女塾を開き、ラジオで文化譜の普及を図り、長唄発展に大きく貢献した。平成2年生誕百年記念演奏会が開催された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杵家弥七」の解説

杵家弥七(4代) きねいえ-やしち

1890-1942 大正-昭和時代前期の長唄三味線方。
明治23年12月10日生まれ。母は2代杵屋弥七の弟子,弥寿治。5代勘五郎に師事し,大正5年4代杵屋弥七を襲名。杵家と改姓して杵家派家元となる。三味線音楽を楽譜化した「三味線文化譜」を完成。昭和3年東京赤坂に三味線女塾をひらいた。昭和17年12月17日死去。53歳。東京出身。本名は赤星よう。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「杵家弥七」の解説

杵家 弥七(4代目) (きねいえ やしち)

生年月日:1890年12月10日
大正時代;昭和時代の長唄三味線方
1942年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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