日本歴史地名大系 「松の丸」の解説 松の丸まつのまる 鳥取県:鳥取市鳥取城下鳥取城跡松の丸現県立博物館横の久松山北側の出鼻頂辺りの名称。山名豊国時代には城の中枢部であったとされる。慶長五年の関ヶ原の合戦後亀井氏・赤松氏連合軍が宮部氏遺臣の守る鳥取城を攻めた時に、宮部側はここに兵を配し、但馬赤松勢の攻撃を鉄砲で防いだという(因幡民談記)。城主の居所はこの頃には山下の丸が整備されて麓の右膳(ゆうぜん)丸付近に移されていたらしい。城の外側から山上の丸に至る道は三つあり、東の宮内(みやうち)谷より十神の険を経て背後より上る搦手の道、正面の道が天球丸と二の丸の間からの中坂口で、現在の博物館と市立北(きた)中学校の間に突き出ている尾根から途中に松の丸・鐘(かね)ヶ平(なる)・太鼓(たいこ)ヶ平(なる)を経て上る西坂(にしさか)口があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by