松井佳一(読み)まついよしいち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「松井佳一」の意味・わかりやすい解説

松井佳一
まついよしいち
(1891―1976)

水産学者、魚類遺伝学者。山口県に生まれる。1917年(大正6)農林省水産講習所本科、研究科卒業。愛知県水産試験場、水産講習所技師、その間メキシコの水産技術顧問として国際協力、1938年(昭和13)兵庫県水産試験場長。1946年(昭和21)日本真珠研究所を創設、同所長。1958年京都大学理学部講師を兼ね近畿大学農学部教授、同白浜臨海実験所所長となり、近畿大学に水産学科を新設。また、瀬戸内海連合海区や京都府海区の漁業調整委員を務め、国際学会でも活躍して、第二次世界大戦後の水産業と教育の振興に貢献する。研究業績淡水魚や真珠など広範囲にわたるが、なかでも『日本産金魚の遺伝学的研究』(1934)は世界的に有名である。この論文により水産講習所卒で最初に農学博士を授与された。著作も活発で、『金魚大鑑』(1968)、『真珠の事典』(1965)など著書多数。また、キンギョに関する内外文献のほか、希書、書画骨董(こっとう)の収集家である。

[小嶋吉雄]

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20世紀日本人名事典 「松井佳一」の解説

松井 佳一
マツイ ヨシイチ

昭和期の水産学者,魚類遺伝学者 近畿大学水産研究所長。



生年
明治24(1891)年2月20日

没年
昭和51(1976)年4月17日

出生地
山口県都濃郡富田村(現・新南陽市)

学歴〔年〕
水産講習所養殖科(現・東京水産大学)〔大正3年〕卒

学位〔年〕
農学博士(東京大学)〔大正9年〕

経歴
農林省水産試験場技師、兵庫県水産試験場長、京都帝大理学部講師、日本合同真珠会社日本真珠研究所長などを歴任。この間、昭和11年メキシコ政府に招かれた。33年近畿大学農学部教授、のち同大水産研究所長。キンギョの遺伝、真珠養殖に業績をあげた。著書に「日本の金魚」「日本の水産業」「メキシコ風土記」「実験金魚の愛玩と飼育法」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松井佳一」の解説

松井佳一 まつい-よしいち

1891-1976 昭和時代の水産学者,遺伝学者。
明治24年2月20日生まれ。兵庫県水産試験場長,日本真珠研究所長などをへて,昭和33年近畿大教授となり,水産学科を新設。金魚の遺伝学的研究で知られた。昭和51年4月17日死去。85歳。山口県出身。農商務省水産講習所卒。著作に「日本の金魚」「日本の水産業」など。

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