松井曻(読み)マツイ ノボル

20世紀日本人名事典 「松井曻」の解説

松井 曻
マツイ ノボル

明治・大正期の洋画家 明治美術会評議員



生年
安政1年(1855年)

没年
昭和8(1933)年6月19日

出生地
但馬国出石町(兵庫県出石郡出石町)

経歴
川上冬崖の画塾・聴香読画館に学ぶ。明治13年頃、洋画家の浅井忠・小山正太郎らと十一会を結成し、ともに画技の研鑽に努めた。20年には東京府工芸品共進会に作品出展。22年明治美術会の創立参加、評議員として同会の第1回展から出品し、28年の第7回展では久米桂一郎とともに展覧会委員を務めた。この間、24年に行われた裸体美術問題に関する討議会では、時期尚早を唱える浅井に対し、裸体美術に賛成している。制作活動の傍ら、明治美術学校で教鞭を執るなど、後進の育成にも力を注いだ。晩年は静岡に住み、そこで没した。風景画を得意とし、「春磯」「落葉村」「山村春耕」などの作品がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松井曻」の解説

松井曻 まつい-のぼる

1854-1933 明治-昭和時代前期の洋画家。
安政元年生まれ。川上冬崖(とうがい)の画塾聴香読画館にまなぶ。その後浅井忠,小山正太郎らの十一会に参加。明治22年明治美術会の創立にくわわる。昭和8年6月19日死去。80歳。但馬(たじま)(兵庫県)出身。作品に「春磯」「山村春耕」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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