日本大百科全書(ニッポニカ) 「松井稼頭央」の意味・わかりやすい解説
松井稼頭央
まついかずお
(1975― )
プロ野球選手(右投左右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のニューヨーク・メッツ、コロラド・ロッキーズで遊撃手、二塁手としてプレー。
10月23日、大阪府生まれ。PL学園高時代は投手で、1992年(平成4)には、春の選抜大会で甲子園に出場した。ドラフト3位で1994年に西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)へ入団、内野手へ転向し、本名の和夫から登録名を稼頭央にした。1995年に一軍へ昇格して69試合に出場し、盗塁21を決めて翌年からレギュラーとなった。1997年から3年連続盗塁王獲得、2000年と01年は盗塁26でタイトルは逃したが、01年は盗塁成功率100%と高い技術力を見せつけた。1997年から2003年まで連続で打率3割以上をマークした。また、ゴールデン・グラブ賞3回と守りにも定評がある。一軍定着の1996年から全試合出場を続けたタフガイでもあり、98年には最優秀選手(MVP)も手にした。さらに、2002年には打率3割3分2厘、ホームラン36本、盗塁33を記録し、史上8人目、スイッチ・ヒッターでは初となる「3割30本30盗塁」の快挙を成し遂げた。また年間最多長打(二塁打以上)88の日本記録をつくった。日米野球が開催されるたびに高い身体能力で注目を集め、2003年に大リーグのニューヨーク・ヤンキース入りした松井秀喜(ひでき)と区別して「リトル松井」の呼び名でアメリカの球界関係者からも評価された。2003年FA(フリーエージェント)となり、大リーグ入りを表明。同年12月ニューヨーク・メッツと2300万ドルで3年契約をした。メジャー1年目の2004年は開幕戦で初打席ホームランと出足こそ華々しかったが、エラーが多く、シーズン終盤には遊撃手から二塁手へ転向させられた。2005年も開幕戦初打席でホームランを放ったが、その後は足の故障などもあり、不本意なシーズンとなった。2006年も故障で出遅れ、シーズン初登場は4月20日、しかし、この試合の初打席で3年連続初打席ホームランとなるランニング・ホームランを放つ。これは1997~99年のケン・グリフィー(シンシナティ・レッズ)以来、史上4人目の珍しい記録。その後は調子が上がらず、6月7日にロッキーズへ交換トレード。マイナー・リーグのAAA級で調整したあと、シーズン終盤にメジャー昇格し、32試合に出場して3割4分5厘をマークするなど復活の兆しをみせた。
[出村義和]
2007年以降
2007年は腰痛で戦列を離れた時期もあったが、104試合に出場し、二塁手として96試合に先発。また、打線では1番、2番を任され、打率2割8分8厘、自己最多となる32盗塁、84得点をマーク、リードオフマンとしての役割を果たした。プレーオフでは7試合19打数9安打、打率3割1分の成績を残し、球団史上初のワールド・シリーズ進出に貢献した。2008年からはヒューストン・アストロズでプレー。
日本での10年間の通算成績は、出場試合1159、安打1433、打率3割9厘、本塁打150、打点569。獲得したおもなタイトルは、最多安打2回、盗塁王3回、MVP1回、ベストナイン7回、ゴールデン・グラブ賞4回。2007年までの大リーグ通算成績は、出場試合375、安打376、打率2割7分2厘、本塁打17、打点131、盗塁62。
[編集部]
『松井稼頭央著『メジャー最終兵器 わが決断』(2003・双葉社)』