松倉米吉(読み)マツクラ ヨネキチ

20世紀日本人名事典 「松倉米吉」の解説

松倉 米吉
マツクラ ヨネキチ

大正期の歌人



生年
明治28(1895)年12月20日

没年
大正8(1919)年11月25日

出生地
新潟県糸魚川町

学歴〔年〕
糸魚川高小〔明治40年〕中退

経歴
父の死後家運が傾き、遠縁の家に預けられる。高小を1年で中退して上京し、同棲中の母のもとに身を寄せてメッキ工場工員となる。15歳頃俳句を知り、大正2年アララギ入会古泉千樫に師事する。5年肺を病んで工場を辞め、闘病生活の傍ら回覧雑誌「行路の研究」「万葉研究」などを作り、歌会に出席没後の9年「松倉米吉歌集」が刊行された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松倉米吉」の解説

松倉米吉 まつくら-よねきち

1895-1919 明治-大正時代の歌人。
明治28年12月25日生まれ。高等小学校を中退し,上京して鍍金(めっき)工場などではたらきながら,古泉千樫(こいずみ-ちかし)に師事し「アララギ」に入会。労働者の生活体験をうたい,貧窮のなか,大正8年11月25日病死。25歳。新潟県出身。遺稿集に「松倉米吉歌集」。
格言など】親方仕事のはたにうづくまり蚊遣いぶして吾が居りにける(「松倉米吉歌集」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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