古泉千樫(読み)こいずみちかし

日本大百科全書(ニッポニカ)「古泉千樫」の解説

古泉千樫
こいずみちかし
(1886―1927)

歌人。千葉県の農家に生まれる。本名幾太郎(いくたろう)。小学校代用教員を経て、1908年(明治41)に上京、のち水難救済会に勤務。伊藤左千夫(さちお)に師事し、初期『アララギ』の有力歌人として活躍、その歌壇進出に寄与した。24年(大正13)同誌を離れて『日光』に参加、26年青垣(あおがき)会を結成したが、機関誌の創刊をみずにした。しなやかな調べと庶民的な生活感情を歌った点に特色があり、晩年の病床吟に傑作が多い。自選歌集川のほとり』(1925)のほか、『屋上の土』(1928)、『青牛(せいぎゅう)集』(1933)、遺文集『随縁(ずいえん)集』(1930)がある。

[本林勝夫]

 秋の空ふかみゆくらし瓶(かめ)にさす草稗(くさびえ)の穂のさびたる見れば

『上田三四二著『古泉千樫の秀歌』(1976・短歌新聞社)』

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朝日日本歴史人物事典「古泉千樫」の解説

古泉千樫

没年:昭和2.8.11(1927)
生年:明治19.9.26(1886)
明治大正時代の歌人。本名幾太郎。別号沽哉など。千葉県長狭郡吉尾村(鴨川市)生まれ。弥一,きくの長男。14歳より歌作を始め,明治37(1904)年に『馬酔木』への投稿歌が伊藤左千夫に激賞されて左千夫門に入門した。41年には小学校教員を辞して上京,帝国水難救済会に職を得る。『アララギ』初期から興隆期の主要同人として編集責任者にもなった。その歌風写生基調として心情を豊かに歌ったもので,『万葉集』に対する深い理解がその底にあるといえるだろう。晩年は『日光』に参加,門下と青垣会を結成したが,その機関誌の創刊をみずに死去。歌集に『川のほとり』(1925),『屋上の土』(1928),『青牛集』(1933)などがある。

(平石典子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus「古泉千樫」の解説

古泉千樫 こいずみ-ちかし

1886-1927 明治-昭和時代前期の歌人。
明治19年9月26日生まれ。伊藤左千夫(さちお)に師事。明治41年小学校教員をやめて上京,「アララギ」同人となる。のち「日光」にくわわるが,大正15年青垣(あおがき)会を結成。昭和2年8月11日死去。42歳。千葉県出身。千葉教育会教員講習所卒。本名は幾太郎。別号に椎南荘主人など。歌集に「川のほとり」。
【格言など】吾等の詩は吾等の内生命における苦しき秘密の告白である(「アララギ」明治45年2月)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「古泉千樫」の解説

古泉千樫
こいずみちかし

[生]1886.9.26. 千葉,吉尾
[没]1927.8.11. 東京
歌人。本名,幾太郎。伊藤左千夫に師事し,『馬酔木 (あしび) 』『アララギ』を経て『日光』 (1924創刊) の同人となった。自然主義の影響を受けて日常生活に取材した堅実な歌風を示し,多くの門下生に慕われた。代表作は没後発表された『屋上の土』 (28) ,『青牛集』 (33) 。

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百科事典マイペディア「古泉千樫」の解説

古泉千樫【こいずみちかし】

歌人。千葉県生れ。本名幾太郎。伊藤左千夫に師事,《アララギ》創刊に参加し主要同人となった。清澄な作品が多い。のち《アララギ》と遠くなり,北原白秋らとともに《日光》創刊に参加,1926年青垣会を結成し門下を指導した。歌集《川のほとり》《青牛集》や《古泉千樫全歌集》がある。

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精選版 日本国語大辞典「古泉千樫」の解説

こいずみ‐ちかし【古泉千樫】

歌人。本名幾太郎。別号沽哉。千葉県出身。伊藤左千夫の門に入って「アララギ」同人となり、のち「日光」に参加し、青垣会を結成。歌集に「川のほとり」「屋上の土」、散文集に「随縁鈔」など。明治一九~昭和二年(一八八六‐一九二七

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世界大百科事典 第2版「古泉千樫」の解説

こいずみちかし【古泉千樫】

1886‐1927(明治19‐昭和2)
大正期の歌人。本名幾太郎。千葉県生れ。1908年上京して水難救済会に勤めた。04年《馬酔木(あしび)》の投稿歌が伊藤左千夫に認められたのを機に入門。《アララギ》初期には新進中もっとも安定した作風を示した。一時編集責任者にもなったが,大正中期島木赤彦が同派の中心となるころから疎遠となり,24年創刊の《日光》に参加。同年喀血病臥(びようが)する前後から歌はとみに清澄のに進んだ。26年門下と〈青垣会〉を結んだが,機関誌《青垣》の創刊を目前に没した。

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