画家。ロンドンに生まれる。元陸軍大尉であったが,退役後の1857年に《イラストレーテッド・ロンドン・ニューズ》の特派員画家として中国へ渡る。61年イギリス公使オールコック一行とともに長崎から江戸へのぼる。同年の東禅寺襲撃事件に遭遇し《浪士乱入図》を描いたのをはじめとして,生麦事件から薩英戦争,下関砲撃事件あるいはイギリス人士官殺害事件などの,激動期の日本の動向をつぶさに描き,それらは《イラストレーテッド・ロンドン・ニューズ》に逐次紹介され,貴重な記録となっている。日本における維新期の国際的な事件のリポーターであると同時に,62年には外国人による最初の風刺雑誌《ジャパン・パンチ》を創刊(1887終刊)している。本格的な油絵画家ではなかったが,日本の風景・風俗を油絵や水彩で描く。洋画の実技がまだ普及していなかった時期でもあり,高橋由一や五姓田義松など黎明期の洋画家たちが彼の教えを受けている。正則な指導法ではなかったが,近代日本洋画の最初の師といえる。また横浜居留地でシェークスピア劇の最初の上演に協力し,その絵入風刺雑誌は明治中期にビゴーの《トバエ》に継承された。晩年は不遇のうちに横浜で没した。
執筆者:酒井 忠康
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(三輪英夫)
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イギリスの画家。ロンドンに生まれる。パリで絵の修業をし、帰国後、陸軍に入る。陸軍大尉で退役し、『イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ』の特派美術通信員として中国に渡る。1861年(文久1)来日し、以後、日本で美術通信員の仕事を続ける。水戸浪士の東禅寺襲撃事件、生麦(なまむぎ)事件、薩英(さつえい)戦争、鉄道開業式、西南戦争など幕末維新の大事件を画で西欧に報道した。62年からは時局風刺雑誌『ジャパン・パンチ』を横浜で刊行し、居留外国人の情報・娯楽誌として好評を受ける。この雑誌は日本人にも影響を与え、日本の新聞に漫画が登場し、「ポンチ」ということばを流行させ、87年(明治20)まで25年間続く長寿雑誌となった。63年には小沢カネと結婚し1子をもうけている。油彩画、水彩画も描いたことから高橋由一(ゆいち)、五姓田芳柳(ごせだほうりゅう)らが弟子入りし、日本近代洋画成立期の指導的立場にあった。横浜で没。
[清水 勲]
『酒井忠康著『海の鎖――描かれた維新』(1977・小沢書店)』▽『清水勲編『ワーグマン日本素描集』(岩波文庫)』
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1832.8.31~91.2.8
イギリスの画家。ロンドン生れ。1857年(安政4)「イラストレーテッド・ロンドン・ニューズ」の特派員として東洋に派遣され,「浪士乱入図」をはじめ幕末激動期の動向を紹介した。61年(文久元)から横浜に住む。油彩・水彩で日本の風俗を描き,高橋由一(ゆいち)・五姓田(ごせだ)義松らに洋画技法を教えた。62年風刺漫画の月刊誌「ジャパン・パンチ」を発行。横浜で死去。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…とくに重要な画家をあげれば,ドラクロア,ドーミエ,セザンヌ,ゴッホ,シニャック,モローなどがおり,20世紀にかけてはルオー,デュフィ,スゴンザック,クレー,ノルデ,またアメリカではホーマー,プレンダーガストMaurice Prendergast(1859‐1924),マリンJohn Marin(1870‐1953)などがあげられ,いずれも従来の伝統にとらわれない自由な様式,技法を見せている。
[近代日本の水彩]
日本では《イラストレーテッド・ロンドン・ニューズ》の特派員として幕末に来日したイギリス人ワーグマンに学んだ高橋由一,五姓田(ごせだ)芳柳(1827‐92),その次男の義松などが洋風水彩画の端緒を作り,浅井忠は油彩のほか水彩にもすぐれていた。また1907年には大下藤次郎,丸山晩霞(ばんか)(1867‐1942)らの手で日本水彩画研究所が設立され,その後の水彩の普及,発展に大きく貢献した。…
… 明治以後の日本ではしばらく江戸末期の遊びの精神は衰え,まじめに一直線に西洋近代に学ぶことに関心が集中した。明治以前からの漫画を描き続ける河鍋暁斎(かわなべぎようさい)のような作家はいたが,明治以後の漫画はむしろドーミエやホガースの漫画をヨーロッパからひきよせて,民衆に対していばりちらす日本の成上り官僚の姿をおかしく描いた,イギリス人C.ワーグマンとフランス人G.ビゴーによって新しくおこされた。イギリスの漫画雑誌《パンチ》にならって,ワーグマンの発行した日本最初の漫画雑誌《ジャパン・パンチThe Japan Punch》(1862創刊,87廃刊)は,〈ポンチ絵〉という名を日本に残した。…
…彼はヨーロッパでルネサンス期に確立された遠近法と,ものの丸みをつける明暗法による,科学的な写実表現の迫真性に強くとらえられる。単色の銅版画や色彩の入った石版画によって,西洋画の迫真性を学びつつあった高橋が,本格的な洋画家になったのは,1866年(慶応2),横浜駐在の《イラストレーテッド・ロンドン・ニューズ》のイギリス人挿絵記者C.ワーグマンに入門してからである。高橋はここで油絵,水彩画の実技指導を受ける。…
※「ワーグマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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