松原二十三階堂(読み)マツバラ ニジュウサンカイドウ

20世紀日本人名事典 「松原二十三階堂」の解説

松原 二十三階堂
マツバラ ニジュウサンカイドウ

明治期の小説家,記録文学者,ジャーナリスト



生年
慶応2年8月6日(1866年)

没年
昭和10(1935)年2月26日

出生地
伯耆国淀江町(鳥取県)

本名
松原 岩五郎(マツバラ イワゴロウ)

旧姓(旧名)
吹野

別名
別号=乾坤一布衣,大盃満引生,岫雲

経歴
明治15年頃家出して大阪に出、のち上京、いろいろな仕事をしながら苦学し、21年「文明疑問」を自費出版する。その後雑誌に作品を発表し、23年「好色二人息子」を刊行し、24年「かくし妻」「長者鑑」などを刊行。25年国民新聞社に入社、「国民新聞」に「芝浦の朝烟」をはじめ「東京の最下層」などのルポルタージュ連載し、26年記録文学の傑作といわれる「最暗黒之東京」を刊行。日清戦争では従軍記者となり、最前線からの記事を送る。戦後、民友社文学部長に就任。34年博文館から創刊された「女学世界」の編集長となる。他の著書に「征塵余録」「社会百方面」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「松原二十三階堂」の意味・わかりやすい解説

松原二十三階堂【まつばらにじゅうさんかいどう】

小説家,新聞記者。本名岩五郎。別号乾坤一布衣(けんこんいちほい)。伯耆(ほうき)国(現鳥取県)生れ。はじめ《好色二人息子》《長者鑑(かがみ)》などの小説を書くが,二葉亭四迷の影響で社会問題に関心を抱く。1892年《国民新聞記者となり,都市下層社会のルポルタージュ《最暗黒之東京》等を連載(1893年刊行)。他に従軍記《征塵余録》,《社会百方面》などがある。のちに博文館の《女学世界》の編集長となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松原二十三階堂」の解説

松原二十三階堂 まつばら-にじゅうさんかいどう

松原岩五郎(まつばら-いわごろう)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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