松山館跡(読み)まつやまたてあと

日本歴史地名大系 「松山館跡」の解説

松山館跡
まつやまたてあと

[現在地名]宮古市松山

長沢ながさわ川に沿って北に延びた尾根上にある。館主は白根氏。館の基部は空堀で切られ、標高七五メートルの最高所は物見となる。続いて主郭・二の郭・三の郭と三段の郭が造られ、なおその先に延びた尾根の端には砦が設けられている。大久保昔書遺翰(大久保文書)によると、松山の地には白根氏の前に閉伊氏一族の摩都山氏がいたが、同族間の紛争がもとで腹帯氏に討たれ滅亡。後に出雲松江の牢人白根氏が北処御館正家(北畠顕信あるいはその一族か)に従って北上川の上流地帯と推定される北川の陣に参陣、その軍功によって松山、髪長かみなが(長沢村)せき三郷を得、観応二年(一三五一)移り住んだという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む