松岡修造(読み)まつおかしゅうぞう

知恵蔵 「松岡修造」の解説

松岡修造

日本の元男子プロテニス選手。現在はテニスの指導者、解説者、キャスター
1967年11月6日生まれ、東京都出身。身長188センチメートル、体重85キログラム。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。映画製作・配給会社東宝の現名誉会長で、大学時代にはテニスのデビスカップ日本代表でもあった松岡功次男として生まれる。兄は、現東宝東和株式会社代表取締役社長の松岡宏泰。
10歳で本格的にテニスを始め、84年、高校2年時に、福井烈らを輩出しているテニスの名門校福岡県の柳川高校に編入。その年のインターハイでは、シングルスダブルス、団体を制し、高校三冠を達成した。
85年、世界的な名コーチであるボブ・ブレットに見出され、柳川高校を中退してアメリカ、フロリダ州タンパに渡り、ハリーホップマン・キャンプでトレーニングを積んだ。86年、現地のパーマー・アカデミー・ハイスクールを卒業後プロに転向
88年1月、全豪オープンでグランドスラムシングルスに初出場。トッド・ウィトキンにセットカウント1-3で破れ1回戦敗退したが、同年4月のジャパンオープンでは準々決勝まで進出し、ジョン・マッケンローとの対戦には敗れたものの、若手日本人テニス選手として印象を残した。この年末にATPツアー・シングルス世界ランキング82位となり、念願の世界のトップ100入りを果たす。
しかし、89年に膝を痛め、2度の手術を受ける。復帰後の90年には足首靭帯の損傷など故障が続き、ランキングも100位以下に低迷した。91年、当時のトップ選手の1人ピート・サンプラスに勝利。翌92年4月には、KALカップで日本人男子として初めてATPツアー(世界男子テニスツアー)優勝を飾り、この年のランキングは自己最高の46位を記録した。また、95年のウィンブルドン(全英オープン)では、日本人男子選手として62年ぶりにベスト8入りを果たした。
98年4月、30歳でプロツアー引退。ジュニアの育成とテニス界の発展を目指したプロジェクト「修造チャレンジ」を設立し、テニスクリニックを全国で展開するなどの活動を行っている。18歳以下の男子ジュニア選手を対象とした「トップジュニアキャンプ」には、過去錦織圭も参加している。
また、テレビ番組等のキャスターとして活躍し、北京オリンピックでは、JOC公認の日本選手応援団長にも任命された。

(葛西奈津子 フリーランスライター/2015年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

知恵蔵mini 「松岡修造」の解説

松岡修造

日本の元プロテニス選手、テニス指導者。1967年11月6日、東京都生まれ。父は東宝第11代社長で国内テニストップ選手の一人だった松岡功、母は宝塚元男役スターの千波静。10歳の頃からテニスを始め、慶應義塾中等部2年生の時に「全国中学生テニス選手権大会」で優勝。85年には、高校を中退し米国フロリダ州タンパにテニス留学する。86年、プロに転向した。88年1月「全豪オープン」に初出場。同年8月「全米オープン」で4大大会でのシングルス初勝利を挙げた。同年9月「ソウルオリンピック」に出場。89年「BP国際選手権」で初のツアーシングルス準優勝。その後、故障に悩まされ選手生命も危ぶまれたが、91年にツアー復帰。92年「韓国オープン」で日本男子選手で初となるATPツアーシングルス優勝を達成した。同年6月「クイーンズ・クラブ選手権」で準優勝し、世界ランキング46位(自己最高)を記録。95年の「ウィンブルドン選手権」では、日本人男子として62年ぶりとなるベスト8に進出した。翌96年には五輪3大会連続となる「アトランタオリンピック」出場を果たす。98年、30歳で現役引退。生涯通算成績は173勝207敗、ツアー通算2勝。引退後は、ジュニア育成や日本テニス協会の理事を務める一方、スポーツキャスター・タレントとしても活躍している。

(2014-9-10)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

20世紀日本人名事典 「松岡修造」の解説

松岡 修造
マツオカ シュウゾウ

明治〜昭和期の実業家 大阪合同紡績創業者。



生年
安政6年1月16日(1859年)

没年
昭和4(1929)年10月3日

出身地
摂津国芦屋(兵庫県)

経歴
明治15年土居通夫、谷口房蔵らと大阪合同紡績(のち東洋紡)を創業。大阪電気分銅、大阪毛斯倫紡績などの社長を歴任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松岡修造」の解説

松岡修造(2) まつおか-しゅうぞう

1967- 昭和後期-平成時代のテニス選手。
昭和42年11月6日生まれ。松岡功の次男。福岡の柳川高を中退し,アメリカにテニス留学。昭和61年プロ転向。翌年からデビスカップ代表。強力サーブを武器に,平成4年韓国オープンで日本男子初のツアー優勝。ソウル,バルセロナ両五輪に出場。7年ウィンブルドンでベスト8。世界ランキング最高位は46位。10年引退。スポーツキャスターとして活躍。東京出身。パーマーアカデミー高卒。

松岡修造(1) まつおか-しゅうぞう

1859-1929 明治-昭和時代前期の経営者。
安政6年1月16日生まれ。明治15年土居通夫,谷口房蔵らと大阪合同紡績(のち東洋紡と合併)を創立。大阪電気分銅,大阪毛斯倫(モスリン)紡績などの社長や重役もつとめた。昭和4年10月3日死去。71歳。摂津芦屋(兵庫県)出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「松岡修造」の解説

松岡 修造 (まつおか しゅうぞう)

生年月日:1967年11月6日
昭和時代;平成時代のスポーツキャスター;元・テニス選手

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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