松島遊郭移転事件(読み)まつしまゆうかくいてんじけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松島遊郭移転事件」の意味・わかりやすい解説

松島遊郭移転事件
まつしまゆうかくいてんじけん

若槻礼次郎内閣末期に生じた大阪の遊郭移転にからむ疑獄事件。疑獄そのものは大正の末,市街の発展に伴い移転の必要の出てきた松島遊郭の移転誘致をめぐるもので,贈賄したのは不動産会社経営者で,収賄したのは憲政会箕浦勝人政友会の岩崎勲らであった。 1926年2月 28日箕浦配下に属する者が大阪地方検事局に召喚されたことで表面化。同4月 30日箕浦が起訴され,同 11月7日には首相若槻が証人として召喚され,事件は中央政界を巻込むにいたった。結局は 28年7月 31日控訴審判決で,箕浦らに直接接触をもった平渡ほか1名が懲役1年6ヵ月,ほかの政党幹部はすべて無罪となった。この事件の当事者の1人が憲政会領袖の箕浦であったことから,政友会の田中義一,政友本党の床次竹二郎らがこの事件を朴烈事件とともに若槻内閣倒閣の具に供することになった。 27年1月 18日第 52議会の衆議院において政友会の小川平吉らが質問。同 20日この事件をも含めた若槻内閣不信任案が上提され,同月3日間の停会の詔勅が出される事態になった。しかし,この事件は政治的にはそれ以上発展せず,第1次若槻内閣は同4月勃発の金融恐慌を直接の原因として退陣した。結局この事件はそれにいたる遠因となり,この事件をめぐる政友,憲政両党の抗争は政党のいわゆる腐敗政治の一例とされた。

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