朴烈夫妻の天皇・皇太子暗殺計画事件および司法当局の両名に対する処遇が政治問題化した事件。在日朝鮮人で無政府主義者の中心人物たる朴烈(1902―74)は、その妻金子文子(かねこふみこ)とともに、関東大震災直後、朝鮮人迫害事件のさなかに検束された。多数の朝鮮人を虐殺した官憲は、その言い訳のために、朴烈夫妻に対し、1923年(大正12)秋挙行予定の皇太子婚儀に際し、天皇と皇太子を要撃する計画であったという自白を強要し、26年3月25日、大審院は大逆(たいぎゃく)罪として両名に死刑を宣告した。政府は政治的効果をねらい4月5日、大赦令をもって無期懲役に減刑した。7月23日金子は獄中で縊死(いし)した。7月29日、取調判事立松懐清が東京地裁で撮影した夫妻抱擁の写真を掲げ、両者に対する当局の優遇を非難する印刷物が各方面に配付された。これは北一輝(きたいっき)らのしわざである。北の黒幕たる小川平吉(へいきち)と森恪(かく)を先頭に、野党の立憲政友会と政友本党はこの問題をとらえて若槻(わかつき)礼次郎憲政会内閣を攻撃し、年末には議会解散、普選実施の気運が高まった。しかし若槻は解散を決断しえず、解散を野党の不利とみた政界の黒幕松本剛吉(ごうきち)の策により、第52議会の休会明けの両野党の内閣不信任案提出を機会に翌27年(昭和2)1月20日三党首会談を開き、昭和新政の初めにつき政争の中止を求め、政友会田中義一(ぎいち)、政友本党床次(とこなみ)竹二郎の両党首は議会後の政権たらい回しを期待してこれに応じた。朴は敗戦まで在獄した。
[松尾尊兌]
『我妻栄他編『日本政治裁判史録 大正』(1969・第一法規出版)』▽『再審準備会編『金子文子・朴烈裁判記録』(1991・黒色戦線社)』
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…朴烈事件で大逆罪に問われた女性。横浜に生まれる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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