松平城(読み)まつだいらじょう

日本の城がわかる事典 「松平城」の解説

まつだいらじょう【松平城】

愛知県豊田市にあった山城(やまじろ)。松平氏・徳川氏発祥の城である。国指定史跡(同市内の大給城、高月院とともに国指定史跡「松平氏遺跡」の一つ)。のちの徳川氏につながる松平氏の発祥の地である、松平郷の松平館(現松平東照宮)の南東方向約500mにある城山(標高298m)の山頂に築かれ、山頂の主郭を中心に4つの曲輪(くるわ)を段階的に配置した連郭式の比較的小規模な土豪の城である。1394年(応永1)ごろ、徳阿弥という時宗僧が松平郷の郷主松平信重の養子となって、名を松平親氏と改めた。のちに徳川幕府は、松平氏の初代を親氏としているが、徳川家康は親氏から数えて9代目に当たる。この親氏が松平館の詰(つめ)の城として築城したのが松平城である。親氏は松平館と松平城を拠点として2代泰親、3代信光にわたって勢力を広げ、松平氏の基盤をつくった。松平館・松平城は信光が岩津城に移るまで、松平氏の居城となった。信光が岩津城に移った後、松平館と松平城は初代親氏の庶子信広が相続した。信広を始祖とする家系を松平郷松平家(松平太郎左衛門家)という。松平郷松平家は旗本として明治維新まで松平郷を所領としたが、松平城は文禄年間(1592~95年)に、その役目を終えて廃城になったといわれている。松平城を南・東・北の三方から取り囲むように横堀がめぐらされていたが、東から南にかけて横堀の遺構が比較的良好な状態で現存しているほか、南側中腹には井戸跡が残っている。名鉄三河線豊田市駅、または名鉄本線岡崎市駅からバスで九久平下車、徒歩約6km。◇郷敷城ともよばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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