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松平宗衍 まつだいら むねのぶ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松平宗衍 まつだいら-むねのぶ

1729-1782 江戸時代中期の大名。
享保(きょうほう)14年5月28日生まれ。松平宣維(のぶすみ)の長男。享保16年3歳で出雲(いずも)松江藩主松平(越前(えちぜん))家6代となる。幼少のため幕府より福井藩主松平宗矩(むねのり)ら一族に後見が命じられた。延享4年から藩主親政をおこなう。財政改革,新田開発,殖産興業につとめ,藩校文明館を創設。天明2年10月4日死去。54歳。号は南海。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

松平宗衍

没年:天明2.10.4(1782.11.8)
生年:享保14.5.28(1729.6.24)
江戸中期の大名。生まれた日を18日とする説もある。幼名幸千代,出羽守を称し,南海と号す。松江藩主松平宣維の子。享保16(1731)年に襲封したが,翌年には農民一揆が起こり,また天災が相次ぐなど藩存亡の危機に見舞われた。宗衍は19歳になると家老政治を止めて藩主親政の「御直捌」を開始し,中老小田切備中を登用して積極的な財政振興策をとった。富商や地主から出資を求めて「泉府方」で利殖をはかり,年貢の先納者には土地を分与する「義田の法」を採用し,また櫨や鋳物などの殖産興業を行った。しかしこの積極財政は行き詰まり,宝暦2(1752)年には親政は停止され,小田切も引退する。明和4(1767)年に隠居し,のち剃髪して南海と号した。

(笠谷和比古)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の松平宗衍の言及

【松江藩】より

…出雲国(島根県)松江に藩庁を置いた藩。初期は外様,中期以降は親藩。1600年(慶長5)堀尾吉晴が出雲・隠岐両国24万石に封ぜられ,能義郡富田城に入る。07年島根郡末次の亀田山に移城を決定,11年に完成移転,以後歴代藩主の居城となった。34年(寛永11)断絶した堀尾氏に代わって京極忠高が入封,出雲・隠岐両国に加えて石見銀山の大森代官所支配地5万石も支配する。次いで京極氏が断絶して,38年結城秀康の三男松平直政が藩主となった。…

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