朝日日本歴史人物事典 「松平宗衍」の解説
松平宗衍
生年:享保14.5.28(1729.6.24)
江戸中期の大名。生まれた日を18日とする説もある。幼名幸千代,出羽守を称し,南海と号す。松江藩主松平宣維の子。享保16(1731)年に襲封したが,翌年には農民一揆が起こり,また天災が相次ぐなど藩存亡の危機に見舞われた。宗衍は19歳になると家老政治を止めて藩主親政の「御直捌」を開始し,中老小田切備中を登用して積極的な財政振興策をとった。富商や地主から出資を求めて「泉府方」で利殖をはかり,年貢の先納者には土地を分与する「義田の法」を採用し,また櫨や鋳物などの殖産興業を行った。しかしこの積極財政は行き詰まり,宝暦2(1752)年には親政は停止され,小田切も引退する。明和4(1767)年に隠居し,のち剃髪して南海と号した。
(笠谷和比古)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報