茂木佐平治(読み)もぎ・さへいじ

朝日日本歴史人物事典 「茂木佐平治」の解説

茂木佐平治(3代)

没年:文化4.7.18(1807.8.21)
生年享保14(1729)
江戸中・後期醤油醸造家。下総国野田町(千葉県野田市)生まれ。茂木佐平治家は当初は穀物商だったが,天明2(1782)年に醤油醸造業を開始,やがて亀甲萬(キッコーマン)を本印とした。資産を蓄え,領主(旗本松平勘太郎)の 奥向賄金 の用立を引き受けるに至った。 この家は以降も常に野田で最有力の造醤油家の一角を占め続け,4代目の天保9(1838)年には幕府御用醤油造の下命があった。また4代目,5代目は地代官をも務めた。大正6(1917)年に茂木・高梨一族8家の合同により今日のキッコーマン株式会社の前身である野田醤油株式会社が結成されたときは,統一の商標としてこの佐平治家の商標が採用され,今日に至っている。<参考文献>『野田醤油三十五年史』,市山盛雄『野田の醤油史』

(井奥成彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「茂木佐平治」の解説

茂木佐平治(7代) もぎ-さへいじ

1844-1899 明治時代実業家
弘化(こうか)元年生まれ。家業の醤油(しょうゆ)醸造業をつぐ。明治14年から販売制度を革新し,広告宣伝を重視した経営方針で販路拡張をはかり,亀甲万(きっこうまん)(現キッコーマン)の名を全国にひろめた。明治32年3月22日死去。56歳。下総(しもうさ)野田(千葉県)出身幼名源三郎。名はのち亀雄。

茂木佐平治(3代) もぎ-さへいじ

1729-1807 江戸時代後期の醤油(しょうゆ)醸造家。
享保(きょうほう)14年生まれ。下総(しもうさ)野田(千葉県)の人。天明2年(1782)醤油醸造をはじめ,亀甲万(きっこうまん)を印とした。文化4年7月18日死去。79歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android