松平康俊(読み)まつだいら やすとし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松平康俊」の解説

松平康俊 まつだいら-やすとし

1555-1586 戦国-織豊時代の武将
弘治(こうじ)元年生まれ。久松俊勝の子。母は伝通院徳川家康の異父弟。永禄(えいろく)3年松平姓をあたえられる。6年から今川氏真(うじざね)の人質となっていたが,11年の武田信玄駿河(するが)攻めで今川が敗れ,康俊も甲府におくられた。元亀(げんき)元年脱走,雪のなか足の指すべてをなくして三河にかえった。天正(てんしょう)11年駿河久能城主となる。天正14年4月3日死去。32歳。初名は勝俊(かつとし)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む