朝日日本歴史人物事典 「松平康福」の解説
松平康福
生年:享保4(1719)
江戸中期の老中。石見国(島根県)浜田藩主。団之助,弥三郎,のち周防守。父康豊,母は井上氏の娘。元文1(1736)年襲封し藩主となり,周防守に任ぜられる。寛延2(1749)年奏者番となり,寺社奉行,大坂城代,西丸老中を経て,明和1(1764)年5月本丸老中となる。その間,浜田,下総古河(茨城県),三河(愛知県)岡崎と転封を重ね,ふたたび旧領浜田へ戻る。次女が田沼意知の室だった関係で田沼派とはいえ,老中首座の地位にいながら,田沼全盛期には田沼に政治的に圧倒された。天明5(1785)年に1万石加増(6万1000石)された。松平定信の登場で8年4月老中を辞職した。
(山田忠雄)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報