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児童文学 じどうぶんがく children's literature

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

児童文学
じどうぶんがく
children's literature

子供を読者対象とする文学の総称。形式的に大別して (1) 絵本,(2) 童話,(3) ファンタジー,(4) 小説,(5) 童謡,詩,(6) 戯曲などに分類される。 18世紀以前においては,子供に与えられる本は,礼儀,道徳,宗教などを教える教訓的なものに限られたが,産業革命による社会制度の転換は,人間観の変遷をももたらし,子供に対する新しい認識も生れて,グリムの『子供と家庭の童話』 (1812) ,アンデルセンの『童話集』 (35) ,ルイス・キャロルの『ふしぎの国のアリス』 (65) などが出て,現代の児童文学を形づくる基盤となった。

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デジタル大辞泉の解説

じどう‐ぶんがく【児童文学】

児童を読者対象とした文学の総称。童話・少年少女小説・童謡・児童劇など。

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監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
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百科事典マイペディアの解説

児童文学【じどうぶんがく】

児童のために成人によって書かれた文学。神話伝説民話などと関連しながら発達,ペローお伽噺(おとぎばなし),グリム兄弟童話を経て,19世紀以降子どものための本格的な創作作品が生まれるようになった。
→関連項目ザッパー住井すゑハイジ

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世界大百科事典 第2版の解説

じどうぶんがく【児童文学】

ここにいう児童文学とは,子どもたちのための文学作品を意味するが,それはもとより文学の一分野であって,文学の本筋からはなれた別のものではない。しかし,児童文学は,そうした文学性をそなえつつ,子どもたちに楽しみをあたえうるものでなければならず,生涯を通じて生きつづける経験ともいうべき深い意味の教育性をそなえていなければならない。そして楽しみと教化という児童文学の2要素から,児童文学における訓育主義と芸術主義という二つのモットーがくりかえされてきた。

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大辞林 第三版の解説

じどうぶんがく【児童文学】

児童を読者対象として創作される文学作品。お伽話・童話・少年少女小説・童謡・児童劇など。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

児童文学
じどうぶんがく

概説

大人が子供をおもな読者と想定して創作した文学。形式上、絵本、童話、小説、童謡、詩、戯曲などの純創作に、神話、伝説、昔話などの再話、『ロビンソン・クルーソー』のような本来大人の文学で子供によってこの分野に含まれたものの再話や、広く知識の本までをも含み込む。[神宮輝夫]
大人の文学との違い
1960年代末以降、年齢の高い子供や若者を読者とした作品は内容的に大人の文学と近いため、改めて違いが問われた。児童文学に含まれて生き続けている昔話などの伝承文学は本来口誦(こうしょう)文学であったため、表現の簡明、形式の共通性、大きな主題などの特質をもつ。さらに、伝えられる主題は語り手個人のものではなく、多数の人間の知恵の結晶として代々伝えられたものである。児童文学は小説を含めてほぼ前述の特質と共通する性質をもっている。だから、児童文学とは、筋の展開と結末についてほぼ一定の形式(あるいはパターン)があり、個人のというより人類の知恵が発見した、人間についての基本的主題を伝達する文学だともいえる。これが児童文学の中心部分を形成し、その周辺に大人の小説と性質の同じ作品が同心円的に存在している。だが、それらにしても、登場人物と状況はあくまで少年少女・若者の立場と視点から描かれているという点で、やはり大人の文学とは異なっている。[神宮輝夫]

外国


 18世紀以前は、とくに子供を読者とする本はほとんどなかったから、子供たちは神話、伝説、昔話や『イソップ』の寓話(ぐうわ)(イソップ物語)などを語り聞かされた。もっとも、イギリスの歴史家ベーダの『博物の本』(8世紀)やボヘミア人の牧師コメニウスの『世界図絵』(1658)のような教科書類や、清教徒ジェームズ・ジェインウェイJames Janeway(1636―1674)の『子供への贈りもの』(1671~1672)のような宗教教育・しつけの本はわずかながらあった。また、ルイ14世の宮廷から、シャルル・ペローの『昔話集』が生まれた。[神宮輝夫]
18世紀
市民社会の興隆と啓蒙(けいもう)主義が近代小説と児童文学を生み出した。デフォーの『ロビンソン・クルーソー』(1719)は冒険精神や明快さのゆえに、スウィフトの『ガリバー旅行記』は奔放な想像力の展開のゆえに、すぐに平均24ページの小冊子「チャップブック」となって子供に手渡された。こうした現象に新しい市場を予知したジョン・ニューベリーは、ジョン・ロックの教育論を基礎に「教育と娯楽」を目的として『かわいいポケットブック』(1744)ほかを出版し、子供の本出版に先駆的役割を果たした。セアラ・フィールディングSarah Fielding(1710―1768)もロックの教育論と方法に忠実で、兄ヘンリー・フィールディングやサミュエル・リチャードソンの助言を受け、児童文学史上最初のフィクション『少女のための小さな塾』を発表し、少女小説の源となった。
 ルソーの影響も大きかった。ドイツのカンペJoachim Heinrich Campe(1746―1818)は『新ロビンソン・クルーソー』で漂流記に自然哲学思想を加味した。フランスのジャンリス夫人Mme de Genlis(1746―1830)は、フェアリー・テイル(おとぎ話)を無益と批判した書簡集『アデールとテオドール』(1782)を出し、アルノー・ベルカンArnaud Berquin(1747―1791)は『子供の友』(1782~1783)で名高い。イギリスのトーマス・デイThomas Day(1748―1789)は『エミール』の子供版『サンドフォードとマートン』(1783~1789)を出し、マライア・エッジワースは『両親への助言者』(1796)ほかで知られる。『こまどり物語』(1786)で有名なトリマー夫人Mrs. Sarah Trimmer(1741―1810)と、『ソールズベリー草原の羊飼い』(1795)を含む宗教教育パンフレットで名高いハンナ・モアの2人は、昔話や冒険などを否定し、信仰、しつけ、知識の増進を主眼に活発な活動をした。[神宮輝夫]
19世紀

想像力の所産
この世紀の子供の文学にはロマン主義の影響が強い。想像力の自由な展開の主張は、民間伝承の文学の新たな評価と収集を促した。ドイツでは、A・アルニムとC・ブレンターノが『少年の魔法の笛』(1806)を、グリム兄弟が『子供と家庭のための童話』(1812より)を出版し、ドイツ民衆の心と民族の魂を探るとともに、それらを子供に伝え、昔話・童謡収集と再話、および新しい想像力の展開へ道を開いた。以後、アスビョルンセンとヨルゲン・モウJrgen Moe(1813―1882)の『ノルウェー民話集』、アファナーシエフの『ロシア民話集』、ジョーゼフ・ジェイコブズJoseph Jacobs(1854―1916)の『イギリス民話集』などが続いた。
 伝承文学の新たな評価は、デンマークの作家アンデルセンをして、昔話に根を下ろした独自な人生観や美意識を展開する『子供のためのお話』(1835)を創作させた。彼は生涯で160余に及ぶいわゆる「アンデルセン童話」を残し、子供の文学の価値の認識を大きく変えた。ドイツではE・T・A・ホフマンが、色彩豊かな幻想性と奇異な物語の展開でのちにバレエになった『くるみ割りとネズミの王さま』を、W・ハウフは形式や素材に『アラビアン・ナイト(千夜一夜物語)』の、また幻想にホフマンの影響が明らかな『隊商』ほかを創作した。
 世紀後半になると、主としてイギリスで、伝承文学の内容を含みながらもその形式に縛られない想像力の所産が生まれ、それらがのちにファンタジーとよばれるようになった。聖職者で社会改良家チャールズ・キングズリーは、聖書的宇宙観と生物進化論の融合をモチーフに『水の子』を書き、オックスフォード大学の教授ルイス・キャロルは、常識と非常識の衝突から真実を明らかにしようとした『ふしぎの国のアリス』『鏡の国のアリス』を発表して、子供たちに新しい空想の楽しさを知らしめた。またエドワード・リアは、『ナンセンスの絵本』で韻文のナンセンスの楽しさを集大成した。聖職者として出発したジョージ・マクドナルドは、『北風のうしろの国』その他で神を探究してファンタジーの本流を築いた。[神宮輝夫]
冒険小説
イギリスのロマン派の小説家ウォルター・スコットの『アイバンホー』を代表とする歴史ロマンスは、冒険と夢と英雄たちの華麗な過去のイメージで子供を楽しませ、同時に歴史物語の源流をもなした。アメリカのスコットとよばれたジェームズ・フェニモア・クーパーの『モヒカン族の最後』を含む『革脚絆(かわきゃはん)物語』五部作は、未開の大自然の冒険と高貴な自然人アメリカ・インディアンへのあこがれをかき立て、やがてドイツで『大西部』をはじめとするカール・マイの通俗西部小説や、イタリアのエミリオ・サルガーリの西部小説などを生んだ。
 フランスでは、スコットの影響下にアレクサンドル・デュマが『三銃士』『モンテ・クリスト伯』など、興味深い人物と事件の絡まりから娯楽性に富む読み物を大人と子供に贈り、ジュール・ベルヌは、ロマン主義精神を基礎に、科学が開く未来を鋭く洞察した『地底旅行』(1864)、『海底二万里』などの空想科学小説の分野を創造した。
 イギリスでは、『ロビンソン・クルーソー』の伝統にロマン主義精神が加わり子供向きの冒険物語の空前絶後の発展がみられた。海軍軍人だったマリアットFrederic Marryat(1792―1848)は、スイスのウィースの自由奔放で科学的事実を無視した『スイスのロビンソン』に腹をたてて、事実に忠実な子供向きロビンソン『老水夫マスターマン・レディ』(1841)を書いて子供のための冒険小説の開祖となり、『ニュー・フォレストの子供たち』で子供のための歴史小説を生み出した。バランタインRobert Michael Ballantyne(1825―1894)の『サンゴ島』はやはり少年版ロビンソンだが、主人公たちは、19世紀イギリスが求めた少年の理想像であった。こうした作品には教訓性が色濃く付きまとっていたが、それを取り除き、適確な人物創造と、巧みなエピソードの選択と筋立てにより冒険小説の模範となったのがR・L・スティーブンソンの『宝島』だった。これに刺激されてライダー・ハガードが書いた『ソロモン王の宝窟(ほうくつ)』も読者を魅了した。[神宮輝夫]
日常生活物語
前世紀以来の教訓性を色濃く残しながら徐々に感傷性の強い興味中心の物語へと移行した。読者も登場人物も主として少女だった。イギリスでは、清教徒的宗教教育を主眼としたシャーウッド夫人Mary Martha Sherwood(1775―1851)の『フェアチャイルド家の子供たち』、シャーロット・ヤングCharlotte Mary Yonge(1823―1901)の『ひなぎくの鎖』、ドイツではクリストフ・フォン・シュミットChristoph von Schmidt(1768―1854)の『イースターの卵』、グスタフ・ニーリッツの『盲目の少年』などが教訓や感傷に満ちた物語を通じて少女や少年の理想の姿を描いていた。だが全体の風潮のなかからも徐々に進歩のしるしは現れた。イギリスでは、キャサリン・シンクレアCatherine Sinclair(1800―1864)が『別荘物語』で教訓性の薄い、生き生きと子供らしい少年少女が登場する物語を発表した。世紀後半のJ・H・ユーイング(ユーイング夫人)の『ジャカネイプス』ほかの作品は冷静公平に人間を描き、真にリアリズムといえるものとなった。モルズワース夫人Mary Louisa Molesworth(1839―1921)は『キャロッツ』で幼児の内面に光をあて、さらに『カッコウ時計』で子供の空想を物語化して、日常生活のなかの魔法という新しいファンタジーを創造した。
 アメリカでは、フロンティアの存在が想像力を上回る夢だったためか、本来リアリズムが本流で、メアリー・メイプス・ドッジがオランダを舞台に『ハンス・ブリンカー』で血の通った子供を描き、ルイザ・メイ・オールコットが『若草物語』ほかで生活の細部に忠実なアメリカの少年少女群像を家庭生活のなかで活写した。彼女には多少の感傷性と教訓性が残っていたが、マーク・トウェーンの『トム・ソーヤの冒険』『ハックルベリ・フィンの冒険』にはそれらはまったくなく、真の庶民の子供の目で社会を見つめる批判精神が横溢(おういつ)し、子供の大人に対する優越性を強く打ち出し、アメリカ・リアリズムの基礎を築いた。現実を基礎にアメリカ的理想を空想の物語にまとめたのが世紀の変わり目の1900年に出たフランク・バウムの『オズの魔法使い』だった。
 子供は大人より優れているというロマン派的な考えは、スイスのヨハナ・シュピリの『ハイジ』やアメリカのバーネット夫人の『小公子』などで、優れた物語性とともに極度に増幅されて、以後今日に至るまで児童観に強い影響を与えている。イタリアのカルロ・コッローディの『ピノッキオ』は、本来の教訓性よりも生きた子供像が読者の心をつかみ、エドモンド・デ・アミーチスの『クオレ』も人道主義的理想が子供に感動を与えた。[神宮輝夫]
絵本
増大する市場と印刷技術の向上、さらに子供への認識の深まりは、優れた挿絵や絵本を生み出した。ドイツのハインリヒ・ホフマンの『もじゃもじゃペーター』、ウィルヘルム・ブッシュの『マックスとモーリッツ』、イギリスでは、ナンセンス詩人リアの『ナンセンスの絵本』に始まり、ウォルター・クレイン、ランドルフ・コールデコットRandolph Caldecott(1846―1886)、ケイト・グリナウェイKate Greenaway(1846―1901)などの諸作によって、19世紀絵本の黄金時代がもたらされた。[神宮輝夫]
20世紀

第一次世界大戦まで
各国とも新しい世紀の動きと古い伝統の交替が始まりながらも、まだ真に20世紀的なものは生まれなかった。もっとも豊かな実りはイギリスがもたらした。ビクトリア時代(1837~1901)の余光で安定した繁栄のなかにあったため、作家たちは人生のもっともよい時としての子供時代を作品化して子供と共有した。ジェイムズ・バリーは『ピーター・パンとウェンディ』で人間の本源的な夢を語り、ラディアード・キップリングはルソーの思想の流れをくむジャングルの冒険物語『ジャングル・ブック』ほか、幼年文学、学校物語、歴史小説に新機軸を生んだ。ケネス・グレアムが美と詩と笑いとを込めた『たのしい川べ』は人々に喜びを与え、E・ネズビットは『宝さがしの子供たち』で自然な子供の姿をとらえ、『砂の妖精(ようせい)』でモルズワース夫人の創(つく)ったファンタジーを完成した。ビアトリクス・ポッターの『ピーター・ラビット』絵本やヘレン・バンナーマンの『ちびくろサンボ』も全体的な豊かさの産物といえよう。
 以上の収穫に、たとえば大人数の音楽家一家の日常を扱ったアグネス・ザッパーの『愛の一家』や、蜜蜂(みつばち)を中心に虫の世界が人間について寓意(ぐうい)を込めて語られたワルデマール・ボンゼルスの『みつばちマーヤ』などドイツの作品を加えると、古いものを含みつつ新しい動きがみえてくる。スウェーデンの文部省が、祖国を子供に教えるための物語として依頼した結果である『ニルスのふしぎな旅』(セルマ・ラーゲルレーブ作)なども、各国が意識的に子供の文学を重視し始めた一つの証拠だった。[神宮輝夫]
1920年代
アメリカは新しい国であるため当初から教育に力を注ぎ、1909年にホワイトハウスで青少年問題会議が開かれて子供への関心がさらに高まり、1922年にはニューベリー児童文学賞(ニューベリー賞)が創設され、子供の本の書評誌『ホーン・ブック』が1924年に創刊された。ヒュー・ロフティングの『ドリトル先生アフリカゆき』は、着想の新鮮さ、物語の簡明さ、反戦平和の理想など真に20世紀的な作品だった。同じ理想主義が、オーストリアの作家フェーリクス・ザルテンの『バンビ』をはじめとする動物物語にもみられる。動物をいわば内面から描いた迫真的な物語の背後に平和への強い願いがある。革命後のソビエト連邦は、浮浪児の盗みを通じて新生国家とそのなかでの生き方を描いたパンテレーエフの『金時計』や、革命と内戦の時期を生き生きと物語化したガイダールの『ボリスの冒険』などを生んだ。これらに比べイギリスは、逃避性の強い詩的ファンタジー全盛時代で、類型的な作品が数多く出た。なかでも驚異と美と人間の真実を表現しえているのは、『三匹の王子ザル』で知られるウォルター・デ・ラ・メア、『ヒナギク野のマーティン・ピピン』のエリナー・ファージョン、『クマのプーさん』のA・A・ミルンなどである。[神宮輝夫]
1930年代
1920年代末に始まった経済恐慌とそれに続く政治危機および後半の戦争は児童文学にも大きな影響を与えた。全体的傾向は社会・生活への意識が強かった。恐慌の発端であるアメリカでは、黄金時代への回帰と、理想の再確認ともいうべき西部開拓時代が、キャロル・ブリンクCarol Ryrie Brink(1895―1981)の『キャディ・ウッドローン』やL・I・ワイルダーの『大きな森の小さな家』とその続編で描かれた。ハンガリー出身のケイト・セレディKate Seredy(1899―1975)によるハンガリー農村を描いた『よき地主』や、ブルガリアの農村に住む少年を描いたモニカ・シャノンMonica Shannonの『ドブリー』などもアメリカの理想の一表現であった。エリナー・エステスの『モファットきょうだい』と続編2冊には貧困の影が付きまとっていた。
 イギリスでも、小説家ジャック・リンゼーJack Lindsay(1900―1990)や児童文学作家ジェフリー・トリーズGeoffrey Treaseが一時期社会主義イデオロギーを宣伝する諸作を書くなど全般にリアリズムが強く、イーブ・ガーネットの『ふくろ小路一番地』のようにスラム街の労働者一家を暖かい同情を込めて活写する作品なども生まれ、ほかにも働く子供を登場させる作品が続いた。アーサー・ランサムは、休暇中の子供たちを精密に描写しながら、冒険精神あふれる物語の楽しさを現代によみがえらせて子供の文学の地位を高めた。だが、生きた子供群像の冒険を通じて現実生活の問題に触れ、理想を掲げて時代を批判しこの時期の精神をもっともよく表現したのは、ドイツのエーリヒ・ケストナーによる『エミールと探偵たち』『飛ぶ教室』などの作品だった。
 ファンタジーは、イギリスで、独創的なお手伝いさんがナンセンシカルな不思議を演じて驚異と美を伝える『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(パメラ・トラバース)や、のちに『指輪物語』に拡大されたJ・R・R・トールキンの叙事詩的ファンタジー『ホビットの冒険』、アリソン・アトリーAlison Uttley(1884―1976)のタイム・ファンタジー『時の旅人』などの傑作が生まれた。いずれにも強い批判精神と逃避性の混合がみられる。[神宮輝夫]
1950年代
第二次世界大戦後は、世界平和の理想、国際協調の強化、文化交流など、多くの要因が重なって、児童文学が全世界的なものになった。たとえば、スウェーデンのアストリッド・リンドグレーンは超能力少女の奇想に満ちた冒険物語『長くつ下のピッピ』(1945)、幻想的英雄物語『白馬の王子ミオ』(1956)などで、子供の内面世界と行動力を巧みな物語にした。現実味のある物語ではエディト・ウンネルスタードEdith Unnerstad(1900―1982)、ハンス・ペテルソンHans Peterson(1922― )らが地域性豊かに少年少女を描いてみせた。ノルウェーからはトールビョン・エグナーThorbjrn Egner(1912―1990)の、絵と曲が加わった人間味あふれるコメディー『ゆかいなどろぼうたち』と、アルフ・プロイセンの、突然スプーンほどに小さくなる癖のある主婦の話『小さなスプーンおばさん』が、フィンランドからは、最初スウェーデン語で書かれ、のち世界各国語に訳されたトーベ・ヤンソンの『ムーミン谷の彗星(すいせい)』に始まる「ムーミン」シリーズが出た。
 1930年代にジャン・ド・ブリュノフの『ババール』を出した程度で振るわなかったフランスも、『ゾウのサマ』ほかの動物物語のルネ・ギヨRen Guillot(1900―1969)、『首なし馬』のポール・ベルナ、『少年と川』のアンリ・ボスコなどが出て活況を呈したが、もっとも有名になったのは、人間についての深い思索の込められたサン・テグジュペリの遺作『星の王子さま』だった。ドイツにおいても発達は目覚ましく、戦後まもなく歴史の転換点に焦点をあてた歴史小説を次々発表したハンス・バウマン、ドイツ・メルヘン的想像力により人類の理想を語ったジェイムズ・クリュスJames Krss(1926―1997)、昔話的素材から楽しくわかりやすい物語『小さな魔女』ほかを生み、幼い子供たちに生きる喜びを伝えたオトフリート・プロイスラーなどが活発な活動を始めた。
 英語圏における発達も目覚ましく、イギリスではローズマリ・サトクリフの『ともしびをかかげて』、シンシア・ハーネットCynthia M. Harnett(1893―1981)の『羊毛の梱(こり)』などの考証と想像力による精緻(せいち)な歴史小説、ウィリアム・メインの鋭い心理洞察と新鮮な筆力による『五月のミツバチたち』、ルーシー・ボストンの古い屋敷のファンタジー『グリーン・ノウの子供たち』などが続々出版された。なかでも、永遠の生と神を探究したC・S・ルイスの『最後の戦い』を中心とするいわゆる「ナルニア国物語」7巻と、トールキンの『指輪物語』3巻は、子供の文学とくにファンタジーの可能性を大きく広げ、今日も大きな影響を与え続けている。さらに、フィリッパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』もこの時期の傑作とされている。
 アメリカのリアリズムは、オランダ系のマインダート・ディヤングの『コウノトリと六人の子供たち』によって子供の内面を探る深味をもち、スコット・オデールScott O'Dell(1898―1989)の『青いイルカの島』によって非常に高度な文学性を獲得するに至った。ファンタジーでも、ホワイトE. B. White(1899―1985)の『シャーロットのおくりもの』のように生活実感と非凡な着想が融合した佳作を生んだ。1950年代は、全体に理想主義的、楽天的であり、また児童文学らしさの枠が暗黙に守られていた時期だった。[神宮輝夫]
1960年代以後
モラルの変化、科学技術の急速な発展とくにメディアの多様化、経済の拡大などが相まって、子供をめぐる状況が大きく変わり、児童文学も急激な質的変貌(へんぼう)を遂げた。その一つは、ゴールディングの『蠅(はえ)の王』(1954)やサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(1951)など、大人の小説とみなされていた作品が児童文学の外縁に位置するほどに範囲が広がったことである。象徴的な作品はイギリスのジョン・ロウ・タウンゼンドの『アーノルドのはげしい夏』で、16歳の若者の展望のない生活の実態描写が激しい論議をよんだ。以後イギリスではジル・ペイトン・ウォルシュJill Paton Walsh(1937― )、K・M・ペイトン、ウィリアム・コーレットWilliam Corlett(1938―2005)らがこの分野で優れた仕事を続けている。領域の広がりは、また、子供と状況をよりリアルにつかむ視点をもたらした。
 ドイツでは、ハンス・ペーター・リヒターHans Peter Richter(1925―1993)がナチ政権下のユダヤ人の悲劇を『あのころはフリードリヒがいた』にまとめ、ペーター・ヘルトリングPeter Hrtling(1933― )は『ヒルベルという子がいた』で障害児の問題を真正面から見つめた。またオーストリアのネストリンガーChristine Nstlinger(1936― )は、敗戦直後のオーストリアの状況を子供の目で描いた手堅いリアリズム作品『あの年の春は早くきた』ほかで新しい魅力を生み出している。
 より現実に近づこうとする流れは、必然的に、子供を取り巻く諸差別、偏見、無理解などに対する強い批判をモチーフとする作品を生み出した。イギリスは従来こうした傾向を好まなかったが、1970年代中ごろから、バーナード・アシュリーBernard Ashley(1935― )、ロバート・リースンRobert Leeson(1928―2013)、ジャン・ニードルJan Needle(1943― )らが、人種差別、階級差別に対する批判や子供に対する大人の責任などを鋭くついた作品を書き始めた。
 アメリカでのこの動きははるかに早く強かったが、『バビロンまではなんマイル』でアフリカ系アメリカ人少年の夢想と現実を子供の目で適確にとらえたポーラ・フォックスPaula Fox(1923― )、『グローバーくん』で極限的状況下の子供の強さを描いたクリーバー夫妻Vera Cleaver, Bill Cleaver、『わたしはアリラ』でアフリカ系アメリカ人や北米先住民の歴史と夢と現実を語ったバージニア・ハミルトンVirginia Hamilton(1936―2002)などによって、問題中心、抗議第一の段階をはるかに超える高みに達している。
 ファンタジーの分野も、叙事詩的ファンタジーにアラン・ガーナーの『フクロウ模様の皿』、アーシュラ・ル・グウィンUrsula Le Guin(1929― )の『影との戦い』などが生まれ、ドイツではメルヘンの伝統と哲学性の濃いミヒャエル・エンデの『はてしない物語』が新鮮な世界を開いた。[神宮輝夫]

日本


明治以前
古くは鳥羽僧正(とばそうじょう)(覚猷(かくゆう))の作といわれる『鳥獣戯画』(12世紀)その他の絵巻物があり、南北朝から江戸初期にかけて成立した御伽草子(おとぎぞうし)や江戸期の絵草紙などは、いずれも同時期のヨーロッパの類似のものに比べてはるかに優れていた。また知識の本なども、中村(てきさい)による『訓蒙図彙(きんもうずい)』(1666)など、コメニウスの仕事と同様な高い史的価値をもっている。[神宮輝夫]
明治期
19世紀後半に始まった明治維新による近代化は児童文化の意識的開拓を促し、まず総合誌『少年園』(1888創刊)、『小国民』(1889)、『日本之少年』(1889)などの雑誌ジャーナリズムがおこり、『日本之少年』の博文館が硯友社(けんゆうしゃ)系の作家たちによる『少年文学叢書(そうしょ)』32巻を始め、第1巻の巌谷小波(いわやさざなみ)作『こがね丸』(1891)が事実上日本の児童文学の第一作となった。小波は日本と外国の伝承文学を再話する一方で、『猿蟹後日譚』などいわゆる「おとぎ話」の名で創作を続けて児童文学を確立した。一方、『魯敏遜(ロビンソン)漂流記』(井上勤(つとむ)訳、1883)、『十五少年』(森田思軒訳、1896)などの翻訳は、やがて押川春浪(おしかわしゅんろう)の『海底軍艦』(1900)に始まる50余の作品や、江見水蔭(えみすいいん)の『海国男児』(1901)を生む。小波の伝承文学的文体による伝統的モラルの新時代的表現、それから春浪らの軍国冒険物語は、児童文学史的には「物語」的特質の継承とみることができる。これに比べ『女学雑誌』(1885創刊)に『小公子』(1890~1892)を翻訳した若松賤子(しずこ)の業績は、キリスト教道徳という別なモラル体系の紹介とともに、小説的性質を児童文学に導入したとみてよい。[神宮輝夫]
大正期
明治時代に芽生えた諸要素が、経済の発展、小規模だが市民社会の形成、民主的自由主義的思想の広がりのなかで育った時期だった。雑誌は明治期に続き『少女』(1913)、『少年倶楽部(くらぶ)』(1914)、『良友(りょうゆう)』(1916)などが新たに加わり、1918年(大正7)にこの時期を代表する『赤い鳥』が鈴木三重吉(みえきち)によって創刊された。『おとぎの世界』、『金の船』(のち『金の星』)、『童話』がそれに続いた。これらのうち『赤い鳥』は、イギリス・ロマン派詩人に通じる児童観にたつ北原白秋(はくしゅう)による童謡創作と運動がもっとも大きな業績で、それに西条八十(やそ)の貢献が加わった。さらに『蜘蛛(くも)の糸』(芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ))ほかの説話系の作品、『一房の葡萄(ぶどう)』(有島武郎(たけお))のようなリアリスティックな作品、『月夜と眼鏡(めがね)』(小川未明(みめい))に代表される童話系列の作品を世に送り出した。未明は『赤い蝋燭(ろうそく)と人魚』をはじめとする作品集に、昔話的形式に独自の思想を盛り込んだものや子供の身辺スケッチ風の短編を収めて、空想と写実両面で新しい道を開拓し始めた。『良友』に拠(よ)った浜田広介(ひろすけ)は、『椋鳥(むくどり)の夢』に庶民的道徳と日本的感性のこもる短編を収め、幼年向き文学の開拓者と称された。『童話』の千葉省三は『虎(とら)ちやんの日記』で農家の子供の日常を描いた。『金の船』も多くの童話作家が寄稿したが、野口雨情(うじょう)の童謡も人気を集めた。ほかに、野上弥生子(やえこ)の『人形の望(のぞみ)』、徳田秋声の『めぐりあひ』を含む実業之日本社の「愛子(いとしご)叢書」(1913~1914)も大きな足跡である。[神宮輝夫]
昭和・戦前期
経済不況のなかで始まるこの時期は、ヨーロッパ、アメリカ同様にリアリズムの時代といえる。注目すべき動きは、1926年(大正15)の『無産者新聞』につくられた「コドモのせかい」欄に始まるといわれるプロレタリア児童文学への歩みだった。作品らしいものは残さなかったが、子供への視点に与えた影響は大きく、必然的に子供の日常を社会全体の動向のなかでとらえたり、子供を総合的に描こうとするいわゆる生活童話を生んだ。猪野省三(いのしょうぞう)、岡一太(かずた)、奈街(なまち)三郎、宮原無花樹(むかじゅ)が思想性の強い作品を書き、槇本楠郎(まきもとくすろう)が理論を展開した。塚原健二郎、下畑卓(しもはたたく)、岡本良雄、関英雄(ひでお)、小出正吾(しょうご)らがそれぞれの子供観とモチーフをもってリアルに子供をとらえようと努めた。なかでも、傑出した作品『風の中の子供』『子供の四季』などで生活全体のなかでの子供の立場を客観的にとらえて子供の独自性を際だたせた坪田譲治はこの時期のリアリズムの頂点にたち、『ごんぎつね』ほかで庶民の物語性とモラルを伝えた新美南吉(にいみなんきち)、『風の又三郎(またさぶろう)』『グスコーブドリの伝記』が単行本で出版されてその物語性、象徴性の高い豊かな幻想性がようやく理解され始めた宮沢賢治は、ともにファンタジーとリアリズム両面で子供の文学を大きく前進させた。[神宮輝夫]
昭和・戦後
太平洋戦争直後は雑誌文化が栄え、平塚武二(たけじ)、岡本良雄、関英雄、筒井敬介(つついけいすけ)らが明確な主張をもつ短編を多く発表したが、雑誌の廃刊とともに活動も停滞した。この時期で残ったのは、西欧的モラルに裏打ちされた子供の成長の物語『ノンちゃん雲に乗る』(石井桃子)、長編の骨格をもつ『ビルマの竪琴(たてごと)』(竹山道雄)、戦中の庶民史『二十四の瞳(ひとみ)』(壺井栄(つぼいさかえ))であった。
 創作がふたたび出版され始めるのは、戦後世代の書き手が育ち経済力が上昇し始める1960年代初頭である。1959年に日常生活のなかの小人の存在をアイデアに戦後の理想を語った『だれも知らない小さな国』(佐藤さとる)と『木かげの家の小人たち』(いぬいとみこ)が現れ、翌1960年に労働者一家の生活を少女を中心に入念に追ったリアリズム『赤毛のポチ』(山中恒(ひさし))と、民話を再創造した『竜の子(たつのこ)太郎』(松谷みよ子)が出て真の戦後児童文学がスタートし、以後1960年代を通じて理想主義と楽天性に貫かれた作品が輩出した。だが経済の高度成長に伴う生活の変化とそれがもたらす諸問題の子供への影響は必然的に作品にも変化を促した。象徴的な作品は奥田継夫(つぐお)の『ボクちゃんの戦場』で、子供が初めて幻想性の衣をまとわずに描写され、リアリズムへ拍車をかけた。また反戦・平和を主題とする作品面でも、侵略戦争が『ヤン』(前川康男(やすお))によって中国少年の目で甘えなく扱われた。1970年代は、三木卓(たく)が下積みの少年・若者の生活への努力を『真夏の旗』で追究した手法にみられるように技法面の向上が目覚ましく、小沢正、山下明生(はるお)、寺村輝夫(てるお)の幼年文学、舟崎克彦(かつひこ)、角野栄子(かどのえいこ)らのユーモアやナンセンス豊かな作品、上野瞭(りょう)、那須正幹(なすまさもと)らの物語性を重視した長編など多彩な展開をみせている。[神宮輝夫]
『●外国 ▽神宮輝夫著『世界児童文学案内』(1963・理論社) ▽L・H・スミス著、石井桃子・瀬田貞二・渡辺茂男訳『児童文学論』(1964・岩波書店) ▽ベッティーナ・ヒューリマン著、野村滋訳『子供の本の世界』(1969・福音館) ▽安藤美紀夫著『世界児童文学ノート』全3冊(1975~1977・偕成社) ▽イーゴフ、スタブス、アシュレイ編、猪熊葉子・清水真砂子・渡辺茂男訳『オンリー・コネクト』全3冊(1978~1980・岩波書店) ▽杉一郎編『英米児童文学』(1977・中教出版) ▽J・R・タウンゼンド著、高杉一郎訳『子どもの本の歴史』上下(1982・岩波書店) ▽神宮輝夫著『現代イギリスの児童文学』(1986・理論社) ▽谷本誠剛著『児童文学入門』(1995・研究社出版) ▽末松氷海子著『フランス児童文学への招待』(1997・西村書店) ▽ハンフリー・カーペンター他著、神宮輝夫監訳『世界児童文学百科』(1999・原書房)』
『●日本 ▽菅忠道著『日本の児童文学』(1956・大月書店) ▽鳥越信著『日本児童文学案内』(1963・理論社) ▽上笙一郎著『児童文学概論』(1970・東京堂出版) ▽上野瞭著『現代の児童文学』(1972・中央公論社) ▽猪熊葉子・神宮輝夫・鳥越信他編『講座日本児童文学』8巻・別巻1(1973~1977・明治書院) ▽関英雄著『体験的児童文学史』上下(1984・理論社) ▽松村武雄著『児童文学』(1987・久山社) ▽日本童話協会編『童話史』(1987・久山社) ▽日本児童文学学会編『世界児童文学概論』(1988・東京書籍) ▽日本児童文学学会編『日本児童文学概論』(1976・東京書籍) ▽谷本誠剛著『児童文学とは何か――物語の成立と展開』(1990・中教出版) ▽大阪国際児童文学館編『日本児童文学大事典』(1993・大日本図書) ▽上田道夫・大藤幹夫ほか共編著『現代日本児童文学選――資料と研究』(1994・森北出版) ▽長谷川潮著『日本の戦争児童文学 戦前・戦中・戦後』(1995・久山社) ▽勝尾金弥著『伝記児童文学のあゆみ』(1999・ミネルヴァ書房) ▽日外アソシエーツ編・刊『児童文学書全情報』(1998~2001) ▽鳥越信編著『日本児童文学史』(2001・ミネルヴァ書房)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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