松延村(読み)まつのぶむら

日本歴史地名大系 「松延村」の解説

松延村
まつのぶむら

[現在地名]瀬高町松田まつだ

藤尾ふじのお村の南にあり、西は有富ありどみ村、北西上小川かみおがわ村。「宇佐大鏡」によれば、宇佐宮の本御庄一八ヵ所の一つとして数えられた小河おがわ庄には別名として国半不輸の上下松延三〇町が付属していた。同書が引用する小河庄司大蔵季遠陳状によると、松延名田は町ごとに見米二石五斗・絹五疋を国衙に納める以外は、ほかの田率雑物・公事・雑役を免除されており(宇佐宮へは加地子町別一石を納める)、前大宮司公基の私領であったがその女子三子に譲与され、その三子から大宮司宇佐公通が買得した地であった。しかし建仁元年(一二〇一)の高良宮造営田数注文には朝妻あさづま(現久留米市)内温父社造営を課された地として山門郡内五八町のうちに「松延卅町」がみえ、当時は公領として把握されていた。

天正七年(一五七九)龍造寺隆信は田尻氏に対し一千町の所領給付を確約し(同年一二月九日「龍造寺隆信起請文」田尻家文書/佐賀県史料集成七)、そのうち六〇三町を先給した天正七、八年頃のものとみられる年月日欠の田尻鑑種知行坪付(同上)には松延村三三町がみえている。


松延村
まつのぶむら

[現在地名]平塚市まとい

東は徳延とくのぶ村、西と南は河内こうち村、北は久松ひさまつ村に接する。北方鎌倉往かまくらおう(大)なわとよばれる小道が通る。東方の金目かなめ川沿いに南原みなみはら村・徳延村友牛ともうじ村に囲まれた飛地字河井かわいがある。同所は天正一七年(一五八九)七月三日の北条家朱印状写(県史三)に「徳延之内河井分五貫三百文之地」とみえ、久翁きゆうおう(現小田原市)領として安堵されている。当時は徳延村域に含まれ、のち当村に属したとされるが(風土記稿)、その年代は不詳。小田原衆所領役帳には大田大膳亮「拾六貫五百文 中郡松延」とある。


松延村
まつのぶむら

[現在地名]夜須町松延

篠隈しのくま村の西にあり、曾根田そねだ川下流にあたる。正平一七年(一三六二)一二月一三日の征西将軍宮令旨(太宰府天満宮文書/南北朝遺文(九州編)四)によると、安楽寺(太宰府天満宮)権別当信高は松延小太郎が「松延村御供屋修理料米」を抑留したことなどを征西府に訴えている。小早川時代の指出前之帳では松延村の田一七町三反余(分米一九七石余)・畠七町一反(分大豆六五石余)。江戸時代は福岡藩領。慶長七年(一六〇二)の検地高五二二石余、うち大豆一〇一石余(慶長石高帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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