朝日日本歴史人物事典 「松浦霞沼」の解説
松浦霞沼
生年:延宝4(1676)
江戸中期の対馬府中藩の儒者。通称儀右衛門。諱 は允任,字は禎卿。霞沼は号。播磨国(兵庫県)の生まれ。父守興は姫路藩松平家に仕えていたが,のち浪人。母は国学者契沖の妹。幼くして南部草寿から学才を激賞され,13歳で対馬府中藩に召し抱えられた。木下順庵門下に学んで詩文に才能を発揮し,木門十哲のひとりに数えられた。のち藩の儒者となり禄200石を受ける。同じ木門から府中藩に招聘された雨森芳洲とは特に親しかった。編著『朝鮮通交大紀』(1725)は,中世から享保1(1716)年に至る対馬と朝鮮との関係を記述した書で,ことに文禄・慶長の役以降の部分は史料的価値が高い。
(鶴田啓)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報