日本歴史地名大系 「松田郷」の解説
松田郷
まつだごう
松田郷
まつだごう
現在の松田町一帯の古名。平安時代末には波多野氏の所領となっていて、「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)一〇月一七日条に、源頼朝に敵対した波多野義常が松田郷で自殺したとみえ、一一月二〇日条では義常の妻の兄弟にあたる大庭景義が当郷を預けられた。義常の父義通の妹は源義朝と結ばれて朝長を産み、その縁で朝長は郷内に「松田亭」とよばれる邸宅をもっていた。同年一〇月、頼朝は中村宗平に命じて修理させておいたこの邸宅に入った。主屋に付属していた侍の柱間が二五もある萱葺の大邸宅であった(同書同年一〇月一八日・二五日条)。
松田郷は波多野義常の遺児有常の成長後その手に返されたらしく、有常の子孫は松田氏と名乗る武士団を形成した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報