枕石寺(読み)ちんせきじ

日本歴史地名大系 「枕石寺」の解説

枕石寺
ちんせきじ

[現在地名]常陸太田市上河合

久慈川と山田川の合流点の山田川堤防の下にある。真宗大谷派で、大門山伝灯院と号する。本尊阿弥陀如来。初め大門おおかど村にあったが貞永元年(一二三二)内田うちだ村に、天文一〇年(一五四一)さらに現在地に移り、「太田盛衰記」によると延宝六年(一六七八)徳川光圀によって現山号を受けたという。寛文三年(一六六三)開基帳(彰考館蔵)に、「東廿四輩之内飛檐内田山枕石寺、一、此寺建暦二十一月一日親鸞聖人当国修行之時開基、当卯迄四百五拾弐年、一、末寺四ケ寺百性旦那四百九人」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「枕石寺」の意味・わかりやすい解説

枕石寺
ちんせきじ

茨城県常陸太田(ひたちおおた)市上河合(かみかわい)町にある寺。内田山(うちださん)というが、一に滝上山(たきがみさん)大門(おおかど)院と号し、真宗大谷派に属する。寺伝によれば、1212年(建暦2)の晩秋夕暮れ越後(えちご)よりこの地を過ぎんとした宗祖親鸞(しんらん)が、郷士日野左衛門尉頼秋(ひのさえもんのじょうよりあき)に一夜の宿を求めたが応じられず、やむなく石を枕(まくら)に露臥(ろが)していた。その夜頼秋は霊夢をみて悔悟し、弟子となって名を道円と改め、その居宅を寺にしたという。この話は倉田百三(くらたひゃくぞう)の『出家とその弟子』の冒頭にも取り入れられ、よく知られている。寺地は初め大門にあったが、のち内田へ、そしてさらに現在地へと移された。境内の枕石は旧地より運ばれたという。親鸞の直弟二十四輩の遺跡巡礼地第15にあたる。

[森 章司]

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