日本歴史地名大系 「林城跡」の解説
林城跡
はやしじようあと
鹿島台地の末端に
城主林氏は鹿島氏の一族で、鹿島三郎成幹の六子六郎左衛門頼幹を祖とし(常陸大掾系図)、鎌倉末期の嘉暦三年(一三二八)七月には鹿島神宮大祭の大使役を勤仕する(「鹿島大使役記」安得虎子)。同氏は鹿島氏と行動をともにすることが多かったらしく、南北朝期の康永二年(一三四三)九月一五日の高師冬奉書(護国院文書)に「常陸国行方郡若舎人郷内根地木村事、為不断護摩料所被寄附畢、早林六郎三郎相共莅彼所、沙汰付下地於鹿島護摩堂雑掌」とあり、師冬が幕府の命で北朝方の武運を祈るため、鹿島神宮に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報