出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…特に,明るい色彩の使用と光に対する強い関心は,アカデミズムを通しての折衷的印象主義ではあったが,日本では清新なものとして受け取られた。フランスの印象派の作品が紹介されたのは,93年の明治美術会展で,日本美術のフランスへの紹介者でまた西洋美術のコレクターであった林忠正(1853‐1906)のコレクションのなかにブーダン,シスレーなどの作品があった。しかし,それらはあまり大きな反響を呼ばず,むしろ黒田たちの折衷主義の方が迎えられたのである。…
…浮世絵版画をはじめ,陶器,漆器,ブロンズ製置物,染織品,象牙細工,そのほか櫛(くし),簪(かんざし)などの女性装身具や,各種工芸品の需要がふえ,当然ジャポネズリーを扱う業者も多くなった。日本人では,78年のパリ万国博日本館展示にかかわった起立工商会社の若井兼三郎(わかいかねさぶろう)(?‐1908),林忠正(1853‐1906)が知られる。とくに林忠正はゴンクールをはじめとしてすぐれたジャポニザンたちの研究を助け,日本美術の正しい理解を促した。…
…渡六之介はパリ・コミューンの経験を《巴里籠城記》に残している。 1900年前後のいわゆるベル・エポックのフランスは日本美術に関心を示したが,画商の林忠正(1853‐1906)は1867年のパリ万国博覧会で浮世絵に開眼した作家のゴンクールと協力しながら,1890年から1901年の11年間に版画15万6487枚,絵本類9708冊,掛物846を日本から送らせ,売りさばいた。 フランス文学の邦訳は1878年川島忠之助のベルヌ《80日間世界一周》に始まり,翌年フェヌロンの《テレマックの冒険》を宮島春松が訳し,さらにはデュマの《五九節操史》,ユゴー,ゾラ,ドーデ,モーパッサンらの作品が翻訳され,フランス文学愛好の基を築いた。…
※「林忠正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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