北欧美術(読み)ほくおうびじゅつ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「北欧美術」の意味・わかりやすい解説

北欧美術
ほくおうびじゅつ

ネーデルラント以北を北欧あるいは北方とよんだ時代もあり、美術史では「北方ルネサンス」といった用例もあるが、文化の北上に伴い、今日ではスウェーデンノルウェーフィンランドのスカンジナビア3国に、デンマークおよびアイスランドを加えて北欧と言い習わしている。本項目でも、この5か国の美術について考察する。

[三田村畯右]

絵画と彫刻

「ヨーロッパの屋根」とも称されるこれらの国々は、長く氷河に覆われていたので(アイスランドは9世紀なかばまでほとんど無人島であった)、文化的発達も後れた。それでも、この地における人類の遺産は、およそ紀元前6000年までさかのぼることができる。先史時代の狩猟・漁労民がノルウェー北岸の岩盤に刻んだトナカイクジラの具象的な線刻画がそれで、「極北美術」の名で知られる。ついで、琥珀(こはく)の小彫刻や櫛文(くしもん)土器が現れ、これに併行して巨石遺構も散在する。

 前1500年ごろ金属器時代に入ると、青銅の小彫刻とともに、南部の農耕・牧畜民が岩盤に刻んだ円や舟形などの「北欧図式美術」がみられるようになり、紀元前後にローマ文化が伝わると、稠密(ちゅうみつ)な金銀細工やガラス器などがおびただしくつくられた。下って紀元後5、6世紀ごろから北欧古代文字ルーンを刻んだ墓碑や浅彫りの着彩画碑が、また8世紀からのバイキング時代には怪奇な動物と植物とが絡み合ったケルト文様の彫刻物が盛んになる。これら北方ゲルマンの芸術クンストkonstが優美なラテンのアルスarsとはかけ離れ、ときに晦渋(かいじゅう)とみえるのは、それらが単に地理的な隔たりによるのではなしに、まったく別の北欧神オーディンを中心とした精神世界に長く支配されてきたからであり、それはいまなお深く北欧芸術の根幹に影響を及ぼしているようである。

 したがって、早くから勇者が南欧に進出、跳梁(ちょうりょう)したにもかかわらず、キリスト教が伝播(でんぱ)するのは遅く、ユトランド半島やバルト海中のゴトランド島に、ロマネスクの木刻像やゴシックの漆食(しっくい)絵画がみられるようになるのはようやく1000年前後からである。15、16世紀にルネサンス文化も伝えられたが、その真の開花は次の世紀まで待たねばならない。

 グスタフ1世を開祖に国力を増大し、バルト海東岸にまで勢力を伸ばしたスウェーデンでは、クリスティーナ女王の時代(1632~1654)に外国の高名な文化人を招聘(しょうへい)したが、哲学者デカルトとともに招かれたドイツのクロッカーDavid Klöcker(1628―1698)は絵画技法を伝え、「スウェーデン絵画の父」と称せられている。ついで天文学者セルシウス、植物学者リンネ、思想家スウェーデンボリらが輩出して「自由の時代」とうたわれた18世紀には、フランスから招いたタラバールThomas Taraval(1701―1750)によって1735年に王立図工院が開設され、今日の王立美術院の基がつくられた。この世紀の後半には、スウェーデン人芸術家によるロココ風のグスタビアン王朝美術時代が開かれ、幻想的な未完の大作『グスタフ3世戴冠(たいかん)図』を描いたピロCarl Gustav Pilo(1711―1793)、ローマに学び写実的なラテン彫刻をもたらしたセルゲルJohan Tobias Sergel(1740―1814)らが活躍した。

 大陸に近いデンマークでも、1754年デンマーク美術院が創設され、ドイツ人メングスRafael Mengs(1728―1779)が伝えた絵画は、アビルガルドNicolai Abildgaard(1743―1809)に受け継がれて発展した。19世紀前半には、ラファエル前派の画家エッカースベリChristoffer Eckersberg(1783―1853)、新古典主義の彫刻家トルバルセンが出て、デンマーク美術の黄金時代を築く。また、フィンランドではエクマンRobert Ekman(1808―1873)、ライトFerdinand von Wright(1822―1906)らが、ノルウェーではダールChristian Dahl(1788―1857)らが北欧人の心情を自然に託して描き、近代絵画の祖といわれている。

 19世紀後半のロマンチックな民族主義は北欧にも及び、スウェーデンではアカデミズムへの反抗者たちが1886年、ノルドストレームKarl Nordström(1855―1923)の主導のもとに美術家連盟を結成し、自立運動を展開する。それに拠(よ)ったヨセフソンErnst Josephson(1851―1906)は幻想的な荒々しい画法で、ラーションCarl Larsson(1853―1919)は世紀末の装飾的な描法で、ソルンは印象主義の影響を受けながら、それぞれ民族の独自性を映し出した。デンマークでもスコブガールJoachim Skovgaard(1856―1933)やウィルムセンFerdinand Willumsen(1863―1958)らが、象徴主義の運動を展開している。スウェーデンとロシアに長く蹂躙(じゅうりん)されてきたフィンランドでは、北欧人のなかでも異なるフィン人の根源をカレリア地方に求める民族運動が激しく燃え上がり、ガレン・カレラAkseli Gallen-Kallela(1865―1931)は民族詩カレバラを主題に描き、ショルフベックHelene Schjerfbeck(1862―1946)は女性の心象を静謐(せいひつ)に描き出して人々の心をとらえた。ノルウェーでも独立の機運のなかで、クローグChristian Krohg(1852―1925)らが中心となって官展を開くとともに、民族的な壁画運動を推進した。20世紀にかけて、生の現実を不気味なまでに描き出したムンク、同じ国の彫刻家ビゲランの情念的表現は、大なり小なり、北欧人に共通な深層の発現とみてよいだろう。

 そのナイーブな資質は、20世紀に入ってより率直に吐露される。ダダに接近して抽象映画をも試みたスウェーデン人エゲリングViking Eggeling(1880―1925)、同じ国の幻想彫刻家ミレス、聾者(ろうしゃ)の身で国民的英雄像を数多く残したフィンランドのアールトネンWäinö Aaltonen(1894―1966)、さらには第二次世界大戦後コペンハーゲンに発生した現代美術グループ「コブラ」、そして南スウェーデンのイマジニストであるスバンベリMax Walter Svanberg(1912―1994)らの活動には、いずれもミスティックmystic(神秘的)な幻想が認められる。より若い世代ではデンマークのコブラを支えたヨルンAsger Jorn(1914―1973)、ノルウェーの造形作家ネシャーCarl Nesjar(1920―2015)、ストックホルムで生まれ、アメリカでポップ・アーティストとして巨大なソフト・スカルプチャーをつくったオルデンバーグ、同じくスウェーデンのリンドブロムSivert Lindblom(1931― )、フィンランドの女性彫刻家ヒルツネンEila Hiltunen(1922―2003)、そしてアイスランド生まれでパリに住むポップ画家エロErró(本名Gudmundur Gudmundsson、1932― )らが注目されよう。

[三田村畯右]

建築と工芸デザイン

森林の国々では、建築も古くから木造であったから現存するものは少ない。かつてはアイスランドやスウェーデンのウプサラに北欧神の神殿が築かれたと伝えられるが、ノルウェーのボーグンドやロムに現存する木造伽藍(がらん)はキリスト教伝道後の11、12世紀のものである。そのころから石造建築技術も伝わり、13世紀にフィンランドのウィイブリ城、14世紀にかけてのゴシック様式でスウェーデンのウプサラ聖堂、ノルウェーのニダロス聖堂が知られる。16世紀末にはルネサンス様式によるデンマークのフレボレグスボー城、さらに古典主義の影響によるコペンハーゲンのローセンボー城がある。17世紀から18世紀にかけてのストックホルム王宮、19世紀のコペンハーゲン大学図書館、ストックホルムの北方博物館、ノルウェーのオスカルハルト城、20世紀にかけてのストックホルム市庁舎など、いずれも天空の高みを希求するロマン主義的傾向がうかがわれる。20世紀に入ると、まずフィンランドで、サーリネン父子やアールト(アアルトとも)が木を生かした暖かなフォルムで国際的に注目を浴び、デンマークでは低層アパートのアーネ・ヤコブセン、スウェーデンでは機能主義のアスプルンド、新郊外都市計画の推進者バックストレームSven Backström(1903―1992)らが、自然と調和した質の高い生活環境をつくりだしてきた。

 また、スウェーデンでは1936年に文教宗務大臣エングベリが、公共建築物における芸術的装飾のための1%法を提唱して以来、芸術的環境造形が盛んである。その成果の一端は、世界一長い画廊と称されるストックホルム市地下鉄駅の装飾にみることができる。

 しかし、なににもまして北欧の名を高からしめたのは、工芸デザインの分野であろう。寒く暗く長い冬、屋内での生活を余儀なくされる北国では、身辺を飾る家庭工芸が伝統的に発達した。その民族手芸を産業革命の進行による機械工業化の波から守り、モダン・クラフトにまで高める動きは、1844年にスウェーデンのマンデルグレンNils Månsson Mandelgren(1813―1899)が、美術院内に工芸家養成の日曜学校を開いたのに端を発する。翌年、彼はスウェーデン工芸協会を発足させ、同じ組織が1875年にはフィンランド、1907年にはデンマーク、1918年にはノルウェーと相次いで設立された。20世紀の初め、ガラス工芸家のハルドEdward Hald(1883―1980)らが生産工場との提携を進めて、ユーゲントシュティル(ユーゲント様式)のスウェディッシュ・モダーンとして、まず国際的注目を集めた。1930年のストックホルム展以後、フィンランドのアールト、イギリス系ベルギー人フィンチAlfred William Finch(1854―1930)に啓蒙(けいもう)されたノルウェーの陶芸、またデンマークの家具デザイナー、クリントKaare Klint(1888―1954)や同じくスウェーデンのマルムステンCarl Malmsten(1888―1972)らの清楚(せいそ)で心暖かい日用の美が、やがて第二次世界大戦後にスカンジナビア・デザインの名声を確立させる。1960年代以降、さらに若いデザイナーたちがポップ・アートの影響を受けて、クリスタル・オブジェのバリーンBertil Vallien(1938― )に代表されるより自由で個性的な表現のデザインを試みつつある。

 また、工業デザインの分野でも、ボルボ社に代表されるように、高品質で耐久性のある重厚な製品を生み出している。総じて、北欧の美術、デザインは、高名な巨匠の手になるというより、全体的に高いレベルの芸術家たちが、社会の役割のなかで真摯(しんし)に芸術的創作を深めつつある点に特色がある。福祉に厚いこれらの諸国は、人間とその環境に配慮したユニバーサル・デザイン(普遍的デザイン)の先進国でもある。なお、1987年には「スカンジナビア年」Scandinavia Todayの一環として、北欧の美術とデザインに関する展覧会が日本各地で催された。

[三田村畯右]

『植田寿蔵著『絵画における南欧と北欧』(1972・創文社)』『スティーン・アイラー・ラスムッセン著、吉田鉄郎訳『北欧の建築』(1978・鹿島出版会)』『スチュアート・レーデ著、樋口清・武藤章訳『アスプルンドの建築 北欧近代建築の黎明』(1982・鹿島出版会)』『エーリック・ニレーン、ヤーン・ペーデル・ラム著、岡崎晋訳『ゴトランドの絵画石碑――古代北欧の文化』(1986・彩流社)』『読売新聞社・西武美術館・北欧閣僚評議会編『北欧の美術展カタログ』(1987・西武美術館)』『美術館連絡協議会・読売新聞社編『北欧デザインの今日――生活のなかの形展カタログ』(1987・西武百貨店ほか)』『西武美術館・京都国立近代美術館・北欧閣僚評議会編『北欧クラフトの今日展カタログ』(1987・有楽町アートフォーラム)』『海老沢敏・稲生永監修、音楽之友社編『音楽と美術の旅 スイス、ベネルクス、北欧』(1996・音楽之友社)』

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