林悌三(読み)ハヤシ テイゾウ

20世紀日本人名事典 「林悌三」の解説

林 悌三
ハヤシ テイゾウ

昭和期の舞台美術家,画家



生年
明治44(1911)年3月

没年
昭和53(1978)年7月5日

出生地
東京

学歴〔年〕
京都市立絵画専門学校本科〔昭和10年〕卒

経歴
昭和3年から日本画山元春挙師事。7〜12年に帝国美術院展、文部省美術展、日本美術院の第1部に6回入選。京都鴨川をどりの美術助手となり、22年から構成、作、演出、美術を担当、「女人堂心中」「蛇性の恋」などがある。戦後は6代藤間勘十郎、作家北条秀司の知過を得て歌舞伎新派に華麗な舞台を展開した。歌舞伎、新派で「建礼門院」「奥の細道」「浮舟」「狐と笛吹き」、東宝歌舞伎の「源氏物語」、日本舞踊「喜撰」「関寺小町」などが代表作。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林悌三」の解説

林悌三 はやし-ていぞう

1911-1978 昭和時代舞台美術家。
明治44年2月16日生まれ。山元春挙(しゅんきょ)に日本画をまなぶ。昭和22年から京都鴨川をどりの構成・美術などを担当。また歌舞伎,新派,日本舞踊の舞台美術で活躍した。おもなものに「建礼門院」「狐と笛吹き」「関寺小町」など。昭和53年7月5日死去。67歳。東京出身。京都市立絵画専門学校(現京都市立芸大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の林悌三の言及

【鴨川をどり】より

…春には京都の花街舞踊がいっせいに開幕されるが,鴨川をどりは都をどりと並んでその代表的なもの。1872年(明治5)に創立され,幸若舞と歌舞伎舞踊を採り入れて流派を開いた篠塚流が振付を担当し,中西蝶二(劇作家,劇評家,1875‐1937),山岸荷葉(小説家,1876‐1945),林悌三(舞台美術家,1911‐78)等によって新味のある舞踊が上演されたが,いまもその伝統が残っている。最近は東京の尾上菊之丞が振付に当たっている。…

※「林悌三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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